1860年にフーコーによってチベット語からフランス語に[6]、1874年にレフマンによってサンスクリットからドイツ語に翻訳されたのをはじめとして[7]、西洋諸言語の翻訳も存在する。 菩薩(仏陀となる前の釈迦)は、兜率天で諸天とともに生活していたが、楽器の音によって自らの使命を思いおこし、弥勒に後を託して摩耶夫人の胎内に入り、ルンビニーで生まれる。菩薩が寺院を訪れると石像が立って迎え、学校では優れた成績を示して師を驚かせた。王子としてなに不自由のない生活をしていた菩薩は、しかし四門出遊を契機に出家を決意した。ここでも菩薩は師より優れていたため、師の教えに満足できず、自ら6年間の苦行を行う。しかし苦行では悟りを得られないと知り、菩提樹の下で禅定にはいる。悪魔の誘惑をしりぞけて成道してから7週間は言葉を発しなかったが、諸天の求めに応じて鹿野苑で説法を行う(初転法輪)。 『方広大荘厳経』に記述されている、菩薩の起こしたさまざまな奇跡は、ガンダーラ、アジャンター石窟群、敦煌などの仏教美術の題材として使用された[8]。またジャワ島のボロブドゥール遺跡の第一回廊主壁上段のレリーフ120面は『方広大荘厳経』にもとづいている[9]。
あらすじ
影響ボロブドゥールのレリーフより
脚注^ 小野(1935) p.431
^ Dharmachakra Translation Committe (2013) xiii
^ 小野(1935) p.432
^ Brough (1977) p.94)
^ Salomon (1990)
^ Foucaux, Philippe Edouard (1860). Histoire du Bouddha Sakya Mouni
^ Lefmann, Salomon (1874). Lalita Vistara: Erzalung von dem Leben und der Lere des Cakya Simha. Berlin. https://archive.org/details/lalitavistaraer00lefmgoog
^ Salomon (1990) p.262
^ Krom, N.J. (1926). The Life of Buddha on the St?pa of Barabudur according to the Lalitavistara-Text. The Hague
参考文献
小野玄妙 編『仏書解説大辞典』 9巻、大東出版社、1935年、431-433頁。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1914246/222。
Dharmachakra Translation Committe (2013). ⇒The Play in Full: Lalitavistara. 84000. ⇒http://resources.84000.co/browser/released/UT22084/046/UT22084-046-001.pdf (チベット語版からの英訳)
Brough, John (1977). “The Arapacana Syllabary in the Old Lalita-vistara”. Bulletin of the School of Oriental and African Studies, University of London 40 (1): 85-95. JSTOR 615824.
Salomon, Richard (1990). “New Evidence for a G?ndh?r? Origin of the Arapacana Syllabary”. Journal of the American Oriental Society 110 (2): 255-273. JSTOR 604529.