新選組!
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なお、その年の『第55回NHK紅白歌合戦』でも歌われた。)。それとともに、「語りが一切無い大河ドラマ」(ただし、アバンタイトルにおける史実の説明は除く。)としても異例である。また、本編の後日談の形で作られた総集編では、みつ役の沢口靖子が語り、という形になっている。

初回視聴率は26.3%と好調だったが、それが最高視聴率で以後視聴率は下がり、平均視聴率は17.4%と振るわなかった(視聴率は関東地区ビデオリサーチ社調べ。)[3]。その一方で、絶賛・擁護の意見も少なくなく、賛否両論の激しい作品と言えた。前述の通り、近藤と龍馬や桂が江戸で知り合っているなど史実と異なる脚色の多さが批判され、TV評論家の麻生千晶も「コメディ大河」などと酷評した。

その一方で、麻生が審査員を務める『ザテレビジョン』誌のザテレビジョンドラマアカデミー賞では最優秀作品賞に選出された[4]。また、山南敬助の切腹した回では、放送当日の反響の電話が鳴り止まず、その年末のアンコールでも1位に選ばれた。この影響を受けて、2007年には山南敬助を弔う「山南忌」が京都の旧前川邸界隈で行われた。この年の日本PTA全国協議会が調査した「親が子供に見せたい番組」アンケートでは(番組別で)第10位に入り、2005年にインターネットで行なわれた「好きな大河ドラマは?」というアンケートでは2位に入った(1位は『独眼竜政宗』)。熱烈な大河ドラマファンである松村邦洋も2007年に未来創造堂[注釈 1]へ出演した際、大河ドラマベスト3を選ぶ企画で第2位に挙げ、「三谷さんは新しい大河ドラマを作ろうとした」と好意的な発言を寄せた。また2011年に行われた「あなたの好きな大河ドラマ」アンケートでは第2位に入っている(1位は翌年放送の『義経』)。三谷によると、「時代考証がめちゃくちゃだとさんざん叩かれた。コメディー大河とも言われた。でも実際に一年間見た人は誰もそんなことは思っていないはず。笑うシーンはあっても新撰組は喜劇ではない。喜劇だとしたらギャグが少なすぎる。笑いはあくまでもおまけ。僕は一年を通して人間ドラマを描いたつもりだ」と述べている[5]。これまでにDVD化された大河ドラマの中では最高の3万2千ボックス、8億円のヒットとなるなど若い世代にファン層を広げたと言われている。放送時は、大河としては異例のデフォルメされたキャラクターによるコンビニエンスストア向けのマーチャンダイジング商品も発売された。

なお、本作の放送年である2004年の最初の日曜日は正月3が日に該当しない1月4日だったが、本作は1月4日を避けてその1週間後に当たる1月11日に放送を開始した。ちなみに、1月11日に放送を開始した大河ドラマの作品は本作のほかに、その本作の23年前に放送された1981年の『おんな太閤記』の2作品のみである。

香取が出演するテレビ朝日系の番組『SmaSTATION-4』では、香取や所属するSMAPのメンバーが出演したドラマ・映画のプロモーションを兼ねて共演者がスタジオに登場することがあり、『新選組!』の主要キャストも例に漏れず最終回放映前日に番組出演したが、NHKの作品を他局の番組で本編映像も織りまぜながらプロモーションするというのは異例であった。また、フジテレビ系の番組『笑っていいとも!』では香取がドラマの衣装で登場したこともある。最終回の翌日の関西テレビ・フジテレビ系『SMAP×SMAP』では脚本・三谷、主演・香取のパロディコント「局長!」が作られた[注釈 2]2007年7月29日には、フジテレビ系『FNS27時間テレビ みんな なまか だっ!ウッキー!ハッピー!西遊記!』内で放送された『クイズ!ヘキサゴンII 今夜はクイズパレード』において、新選組代表として香取、山本耕史、山本太郎、山口智充、小林隆、矢部太郎がドラマの衣装で出演している[注釈 3]2015年に放送された朝の連続テレビ小説あさが来た』では、山本が本作と同じ衣装を着用し土方を演じた。2022年10月29日に放送された『ワルイコあつまれ 秋の大感謝祭SP』では、同番組内コーナーである『慎吾ママの部屋』にて、山本が土方歳三として出演。同コーナーにおいて香取は慎吾ママに扮しているものの、山本と香取が『かっちゃん』『トシ』と呼び合う、香取が近藤勇として山本扮する土方歳三に語りかける等、当時の視聴者層を沸かせる演出が盛り込まれた。
あらすじ

この節にあるあらすじは作品内容に比して不十分です。あらすじの書き方を参考にして、物語全体の流れが理解できるように(ネタバレも含めて)、著作権侵害しないようご自身の言葉で加筆を行なってください。(2013年6月)(使い方

元治元年、京都近藤勇土方歳三率いる新選組は不逞浪士の取締に出動。長州藩桂小五郎は取り逃がしてしまったものの沖田総司などの活躍により大きな成果を挙げる。

この事件を聞いた坂本龍馬は10年前の江戸での出来事を思い出す。
登場人物

以下の人物紹介はドラマ上のものであり、実際の歴史上の人物やその履歴とは違う場合がある。
新選組

清河八郎の浪士組から分派して、組織され当初は「壬生浪士組」、第25回から「新選組」に改められる。基本的に、主人公近藤を中心とした試衛館派、芹沢派(水戸派)、伊東派の3つの派閥が存在しており、それぞれが結託する事もあれば、思想上の軋轢や路線対立、主導権争いを行うこともある。また、派閥内で内輪揉めが発生した事もある他、沖田が一時期水戸派に属したり、藤堂が伊東一派の入隊後、彼らと行動を共にするなど立ち位置が変動することもある。
試衛館の仲間達(主要人物の9人)
近藤勇(こんどう いさみ)
(島崎勝太 → 近藤勇)演:香取慎吾局長。多摩の農家、宮川家の出身で幼名は宮川勝五郎。当初は島崎勝太(しまざき かつた)の名前で登場した。誠意の塊のような人物で、農家の出身故に、人一倍武士らしくありたいと思い、卑怯なことや道理に合わないことを好まない。その生まれが故に、養母からは嫌がらせを受けていたが、上洛の前日に和解する。養父周助とは比較的良好な関係を築いていた。自分のためとはいえ辣腕をふるう土方を度々窘める一幕もあった。げんこつを丸ごと口に咥えこむという珍妙な特技を持つ。新選組と改めてからは、総髪になる。天然理心流宗家・近藤周助の門下に入り、後に養子となり宗家4代目を襲名しながらも、時代が動き出していることを感じ自分の生き方を悩み続けていた。浪士組が募集されると、門弟である土方、沖田、山南、井上、永倉、藤堂、原田らと共に上洛する。そこで芹沢など様々な武人達との交流を隔てながら、時に苦渋を飲んだり、苦悩したりしながらも真の武士になる為に歩み続ける。清河との決別を経て壬生浪士組を結成し、芹沢、新見と共に局長に就任。隊を纏めていくことになるも、芹沢達の乱暴狼藉に手を焼く。土方達が粛清を決断した後も芹沢暗殺に踏み切れなかったが、やがて覚悟を決めた芹沢本人からの「鬼になって俺(芹沢)を食っちまえよ!」との言葉で暗殺に同意する。その後は京都守護職・松平容保のもと、新選組の局長として、内山彦次郎らを排斥しつつ京の治安維持や長州による政変などで活躍し、晴れて幕臣となる。しかし政治状況は激変し、次第に幕府そして新選組は衰退の道を辿ることになる。隊では山南の脱走やその後の切腹、そして伊東や藤堂ら御陵衛士の分裂など様々な悲しい別離や苦難に当たる。それでもその真っ直ぐな志でぶつかり来る苦難を受け止め、一度は袂を分かった伊東とも和解するも、その矢先に先走り過ぎた若手隊士達の独断によって伊東が暗殺され、それをきっかけに御陵衛士との全面闘争へと発展した末、藤堂も戦死するという悲しい結果となった。後日、御陵衛士の生き残りによって近藤は銃撃され、治療のために大坂城へ行くが、その間に起きた鳥羽・伏見の戦いでは近藤達の兄的存在であった井上が戦死。次第に劣勢となる中、幕府軍艦で江戸へ引き揚げた後も徳川のために官軍と戦おうと画策したが、時勢はそれを許さなかった。勝海舟の要請によって甲陽鎮撫隊を率いて甲府城を目指すも、東山道を降ってきた新政府軍に敗れ、それが原因となり永倉、原田が離隊。その後大久保大和の変名を用い、武州五兵衛新田にて再起を図る。新たに隊士を集め、会津藩に合流するべく下総流山で隊士の調練を行っていた最中に新政府軍に包囲され、周平を離隊させ、さらに新選組を土方に託すと、単身新政府軍の陣地に連行される。土方に最後「トシ、もう疲れたよ」といった。養母ふでや実兄の音五郎の励ましを皮切りに「お前は多摩の誇りぞ!」と周囲からの労いの声援を受け、「トシ」と呟いた直後、斬首の刃が振り下ろされた所で物語は終わる。
土方歳三(ひじかた としぞう)
演:山本耕史副長。多摩の出身。近藤とは幼なじみで「かっちゃん」「トシ」と呼び合う無二の親友。極度の女好きで、それだけに伴侶を一人に選ぶつもりもない考えから、結婚を考えていない。多摩でも、周りが進めていたお琴との見合いをふいにし、不興を買っている。秀二郎がひでの男装であったのを見抜けず、相当悔しがっていたこともある。成長しつつも所々で逡巡する近藤と比べると、必要ならば謀略や暗殺も行う決断力に富んだ切れ者であり、また作戦立案や組織造りなどに抜群の才を発揮する知恵者だが、その知恵と洞察力から、仲間の不正を暴いてしまい、その不正が正義や人道の理由であっても切腹をさせてしまうなど、罪悪感から自身を苦しめることもある。普段は自分を律しているが近藤を「近藤さん」と公共の場では呼びながらも[注釈 4]、感極まる出来事を体験した際には「かっちゃん」と呼び、自分に都合の悪い話をする際には目を違う所に向ける癖があるなど大人になれない部分もある。一時は行商の道を志し家伝の石田散薬の行商をしていたりしたが、剣の道を志し天然理心流に入門する。一時は「剣は総司がいる。頭(知恵)は山南がついている」と考え、自分は近藤には必要ないのではないかと自信喪失するが、周斎に「山南の知恵は書物で学んだ知恵だ。お前の知恵は生きた知恵だ」と諭される。京に上ると近藤を大名にすることを狙うが、「八月十八日の政変」で自分たちが時勢の蚊帳の外にいることを痛感、近藤を日本一の侍にするために鬼になることを誓った。その後、芹沢暗殺を決意して山南・原田・井上(後に沖田が加入、井上は消極的だった近藤の牽制に周る。)、そして(この時、消極的だった)近藤を交えた芹沢暗殺計画を実行。斎藤の妨害に遭いつつも、芹沢の覚悟を汲み取って鬼となった近藤から「お前に浪士組の行く末託した」と告げられたことで自身も近藤の決意を受け止め、激闘の末に計画を成し遂げる。以後、近藤のために嫌われ役に徹し組織統制に辣腕をふるい多くの隊士を粛清したことから「鬼の副長」の異名で呼ばれるようになる。


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