新藤義孝
[Wikipedia|▼Menu]
新藤は保守党、石田は公明党から推薦を得た。結果は新藤が埼玉2区で当選。

2001年(平成13年)に総務大臣政務官行政評価の担当[12])、2002年(平成14年)に外務大臣政務官にそれぞれ就任した。例外的に夫婦の別姓を実現させる会の活動も行った。2003年(平成15年)の第43回衆議院議員総選挙では、改革クラブ解党後に民主党へ移っていた石田に敗れ、比例復活もならず落選した。2005年(平成17年)の第44回衆議院議員総選挙では、逆に石田に比例復活を許さず当選し、2年ぶりに国政へ復帰した。安倍改造内閣福田康夫内閣経済産業副大臣[13]を務めた。

2009年(平成21年)8月30日第45回衆議院議員総選挙には埼玉2区から出馬し、石田に再度敗北を喫するも、比例北関東ブロックで復活し、4選[14]。総選挙大敗により、山口泰明が埼玉県連会長を引責辞任したため、後任の県連会長に就任した。

ネットメディア局長在任中、ネットボランティア組織自民党ネットサポーターズクラブ(J-NSC)を立ち上げた[15][16]。同局長退任後は後任の平井卓也にJ-NSC代表の座を譲り、自身は事務局長に就任した[要出典]。

2010年(平成22年)9月、自由民主党政務調査会「領土に関する特命委員会」委員長代理に就任。2011年(平成23年)9月には、衆議院決算行政監視委員会委員長に就任。2012年(平成24年)10月22日、自由民主党シャドウ・キャビネット経済産業大臣に就任(党経済産業部会長兼任)[17]

2012年(平成24年)12月16日第46回衆議院議員総選挙では埼玉2区で石田を含む他候補に比例復活を許さず勝利し5選。同年12月26日成立の第2次安倍内閣総務大臣内閣府特命担当大臣地方分権改革)、地域活性化担当大臣、道州制担当大臣、郵政民営化を担当する大臣として初入閣。2013年(平成25年)12月13日には、内閣府特命担当大臣(国家戦略特別区域)に任命された[18]。2014年9月3日、退任。同年12月14日第47回衆議院議員総選挙で6選。

2014年9月、自民党地方創生実行統合本部筆頭本部長代理・自民党G空間情報活用推進特別委員長に就任。

2014年10月、衆議院地方創生に関する特別委員会筆頭理事に就任。

2015年10月、自民党政調会長代理就任。

2016年9月、衆議院外務委員会筆頭理事に就任。

2016年9月、自民党領土に関する特命委員会委員長・経済構造改革に関する特命委員会委員長就任。

2017年10月22日第48回衆議院議員総選挙で7選。

2018年11月29日、第197回国会第1回憲法審査会にて自民党筆頭理事選任。

2019年9月16日、埼玉県連会長を退任した。自民党埼玉県連臨時大会終了後の記者団の取材に対して「就任から10年たち、かねて後進に道を譲りたいと思っていた」と知事選敗北の引責退任を否定していたが、県連内では2度の知事選敗北に対して責任を問う声が強まっていた[19]

2020年11月4日裁判官訴追委員会委員長に就任[20]

2021年10月31日の第49回衆議院議員総選挙で8選。

2022年8月、自民党政調会長代行に就任[21]

2023年9月13日発足の第2次岸田第2次改造内閣内閣府特命担当大臣(経済財政政策)として再入閣[22]
人物

母方の祖父は、
硫黄島の戦いにおける日本軍守備隊最高指揮官の栗林忠道陸軍大将である[23][24]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:140 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef