新聞
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また、毎日新聞社の発行する『点字毎日』は、点字で発行される週刊新聞である[21]
歴史

1480年ごろ、ヨーロッパ中央部の神聖ローマ帝国などのドイツ語圏地域で発行が始められたとする不定期刊の「Neue Zeitung」(新しい知らせ)が徐々に定期刊行となり[22]1605年、世界初の週刊新聞「Relation」が、帝国内のアルザス地方にあるシュトラースブルク(現在のフランスストラスブール)でヨハン・カロルス(英語版)によって創刊された[23]。なお、シュトラースブルクで1609年に刊行された「Relation」紙が後世に保存されている[22]。1650年、やはり帝国内のライプツィヒで世界初の日刊紙『ライプツィガー・ツァイトゥイング(ドイツ語版)』[注 1](週6日)が創刊された[24]。17世紀半ばには、ニュース本が定期的に出版されるようになった。特にイギリスでは清教徒革命名誉革命を通じてニュース出版が発展し、日刊新聞や地方週刊新聞も出版されるようになった。18世紀には、いろいろな新聞を読み放題のコーヒー・ハウスが登場した。裕福な商工業者であるブルジョワジーが新聞をもとに政治議論を行い、貴族のサロンと同じように論壇を形成した。

こうして新聞が一般化した18世紀に入ると、アメリカ独立戦争フランス革命などの市民革命が起きるようになるが、この過程で新聞は世論の形成に大きな役割を果たし、樹立された新政府においては自由権の一部として法的に言論の自由が認められるようになった[25]

欧米では、19世紀の産業革命による都市人口の増加や社会変化に伴い、新聞の大衆化が進んだ[26]。アメリカでは1830年代に『ザ・サン』をはじめとするペニー・プレスと呼ばれる安価な新聞が普及した[27]。1868年にはイギリスの『タイムズ』が巻取紙を用いる輪転機を採用[28]。日曜新聞のような大衆新聞が成長し、印刷機の発達やロール紙の採用、広告の掲載などにより労働者階級に低価格で販売できるようになった[29]1884年にはオットマー・マーゲンターラーライノタイプと呼ばれる鋳植機を発明し、これによって印刷工が1行ごとにまるごと活字を鋳造できるようになったことで新聞の印刷スピードおよびコストが改善され、より安価に新聞が発行できるようになった[30]。1880年にはアメリカで世界初となる写真版を含む新聞が発行された[28]。19世紀末になると、アメリカではジョーゼフ・ピューリツァー率いる『ニューヨーク・ワールド』紙のように扇情主義を重視する娯楽としての新聞[31]と、『ニューヨーク・タイムズ』紙のように(客観性は別として[32])情報を伝えることに特化した新聞の二つの流れが現れた[33]

つまり現代の新聞の出現は産業革命以降のヨーロッパからであり、産業を支えるうえで大きな存在となった。これはのちにマスマーケティングの手法の一環としても用いられるようになり、企業の広告活動にも一役買うようになった。

日本には江戸時代には瓦版が存在し、大事件などの際に木版で摺られ発行されていた。現存する最古の瓦版は大坂の陣1614年 - 1615年)を記事にしたものである。幕末になると新聞と名付けられたものがいくつか発行されるようになり、1862年に最初の新聞『官板バタビヤ新聞』、1870年には日本初の日刊紙である『横浜毎日新聞』が創刊された[34]。「日本の新聞」も参照

以後、新聞は世界各地に普及し重要なマスメディアのひとつとなってきたが、1990年代後半のインターネットの登場にともなって先進諸国では部数減が進行し、大きな質的転換を迫られることとなった。
語源

「新聞」という言葉は古来の日本語にはない。この語の初出は、北宋時代に編纂された唐王朝の歴史書『新唐書』だとされている。


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