新発田城址公園#アクセスを参照。 現在も城郭跡地の大部分が陸上自衛隊の新発田駐屯地となっているため、三階櫓に行けないなど、新発田城の観光地化の支障となっている。しかしその反面、ここを訪れる観光客の中では、城と重なる駐屯地の光景を見て、「戦国自衛隊のようである」と感想を漏らす人々が非常に多い。かつては浮船城、狐の尾引き城、あやめ城と呼ばれていた新発田城であるが、近年では戦国自衛隊の城という愛称で呼ばれることが増えてきている。
特記事項
脚注[脚注の使い方]^ 「角川日本地名大辞典 15 新潟県」
^ 高田城の三層櫓は復元建築、長岡城は模擬天守(長岡市郷土資料館)である。村上城は石垣のみ残る。
^ 伊藤 喜代子 他 ⇒「新発田城跡発掘調査報告書X(第19地点)」『新発田市埋蔵文化財調査報告38』新発田市教育委員会、2008年。
^ 阿賀北衆の大名としては滅んだが、重家の弟・新発田盛喜の子孫は代々米沢藩侍組として家名は残る(新保氏、新発田氏)。
^ 吉田律人「兵営所在地の日常」、『列島中央の軍事拠点』162頁。
^ 『太政類典』第2編第214巻(兵制13、鎮台及諸庁設置4)「越後国新発田城ヲ廃ス
^ 『太政類典』第2編第214巻「越後国新発田城ヲ更ニ陸軍省ノ管轄トナス