1928年の中華民国内政部の統計では、新疆省の総人口はおよそ255万人、うちウイグル人が約70%、漢人が10%以下を占める人口構成となっていた[13]。 楊増新が新疆を支配した1920年代の中国内地は、軍閥が割拠する内戦状態となり、中央政府から新疆に交付されていた「協餉」(一種の補助金)も打ち切られた。このため、楊増新は、増税、紙幣増刷、農地開墾、対ソ貿易振興等の経済財政改革を行い、中国内地からの経済的自立を図った。中でも、ソ連との間の農畜産物と工業製品のバーター貿易は、新疆省経済の生命線となり、対ソ貿易の取扱額は、1927年には中国内地向け取扱額の10倍にまで達した。楊増新は、関税収入の増進を目的に、ソ連政府と交渉して、1881年のイリ条約で定められた不平等条項を撤廃させるなど、中央政府の頭越しに独自の外交交渉を行った[14]。
経済状況