新珠三千代
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1955年に宝塚を退団し、日活に入社して映画女優として活躍、先輩で宝塚OGの月丘夢路と並んで看板スターになる[1]。
1956年、『洲崎パラダイス赤信号』(川島雄三監督)をヒットさせるが、1957年には東宝に移籍、亡くなるまで東宝所属(東宝芸能所属)だった。1959年スタートの6部作『人間の條件』では苦難を乗り越え戦場まで夫を追い求めるひたむきな妻を演じ、ブルーリボン助演女優賞を受賞。また東宝の看板映画である『社長』シリーズに数多く出演した。
1966年度のキネマ旬報ベストテンで10位に入賞した『女の中にいる他人』では内に秘めた女の情念を見事に演じ切った。
テレビドラマでは『氷点』にて医師夫人・辻口夏枝役を演じたほか、『細うで繁盛記』での数々の困難にもめげずに伊豆・熱川の温泉旅館を切り盛りするおかみ・加代役で人気を決定づけた。『虹を織る』では、ヒロインを指導する教員(日舞担当)・上原敏江役を演じた。また、舞台での『細雪』の二女は当たり役とも評された。このように、和服が似合う清楚高潔な「伝統的な日本女性」としてのイメージを保ちながら、娘役から母親役、良妻賢母から悪女まで、幅広い役柄を演じられる器量が評価され、各方面から絶賛された。
また、1981年より放送された『なるほど!ザ・ワールド』には準レギュラー解答者として多く出演している。
1994年12月、舞台『女たちの忠臣蔵』出演中に心臓疾患のため降板して以降、体調がすぐれず仕事も大幅に減らしていた。
2001年3月17日午後8時35分、東京都港区の東京慈恵会医科大学附属病院で腰椎椎間板ヘルニアの手術の際に、心臓疾患から手術の影響に耐えられず心不全を起こし死去、71歳だった[2][5]。前年11月、朗読劇『ハロルドとモード』で約6年ぶりに舞台復帰を果たし、体調を整えて本格的に活動再開を行う計画を進めていた中での急死であった。
実妹の椿千代(のち桂典子・本名戸田乃理子)も宝塚歌劇団(39期生)出身の女優であり、舞台公演等で共演もしたが、小宮山重四郎と結婚後芸能界を引退した。実妹以外の家族・私生活について一切明かさず、生涯独身であった[1]。
没後、2014年に宝塚歌劇団100周年記念で創設された『宝塚歌劇の殿堂』の最初の100人のひとりとして殿堂入り。
出演作品『洲崎パラダイス赤信号』(1956年)『人間の條件』(1959-61年)『小早川家の秋』(1961年)『斜陽のおもかげ』(1967年)
テレビドラマ
氷点(1966年、NETテレビ) - 夏枝
NHK大河ドラマ
天と地と(1969年) - 袈裟
新・平家物語(1972年)
風と雲と虹と(1976年)
おちゃの子さいさい(1971年、フジテレビ)
細うで繁盛記(1970年 - 1971年、読売テレビ) - 加代
細うで繁盛記(第2シリーズ)(1972年 - 1973年)
新・細うで繁盛記(1973年 - 1974年)
加那子という女(1973年、日本テレビ)
求婚旅行(1974年、日本テレビ)
銀河テレビ小説(NHK)
やけぼっくい(1978年) - 松波八重
華岡青洲の妻(1980年、日本テレビ)
虹を織る(1980年 - 1981年、NHK朝の連続テレビ小説) - 敏江
木曜ゴールデンドラマ(読売テレビ)
細雪(1980年)
恋人たちの忠臣蔵(1981年)
台所太平記?おんな八人寄れば…(1982年) - 讃子
大阪船場女の陣(1990年)
妻と永遠に生きる(1991年)
平岩弓枝ドラマシリーズ(フジテレビ)
女の座(1981年)
嫁の座(1982年)
花ホテル(1983年)
湖水祭(1983年)
女の暦(1984年)
火曜サスペンス劇場 / 「青い幸福」原作:平岩弓枝(1983年、日本テレビ / 東映) - 下川松江 ※主演
平岩弓枝ドラマスペシャル / 歳月(1989年、フジテレビ) - 加田国子
金曜エンタテイメント 細うで繁盛記(2006 - 2007年) - 関口ゆう(写真出演) 役
映画
平安群盗伝 袴だれ保輔(1951年、東宝、監督:滝沢英輔) - 千種[3]
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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