新潮文庫
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また、前後に並ぶ文庫の背表紙の同系色は使わないという原則もある[5]
歴史
第1期

1914年大正3年)9月18日、刊行開始[1][2][6]。四六半裁判(135×94ミリメートル)。初回配本は、トルストイ『人生論』(相馬御風訳)、ギヨオテヱルテルの悲み』(秦豊吉訳)、マルコ・ポーロ『マルコポーロ旅行記【上】』(生方敏郎訳)、ダスタエーフスキイ白痴【一】』(米川正夫訳)、イブセン『イブセン書簡集』(中村吉蔵訳)、ツルゲーネフはつ戀』(生田春月訳)の6点。ドイツのレクラム文庫に倣い、小型の翻訳叢書として、佐藤義亮が企画した。第1期の43点はすべて海外文学であった[7]
第2期

1928年昭和3年)12月、刊行開始。四六判(177×118ミリメートル)のペーパーバック。初回配本は、佐藤春夫『田園之憂鬱 都会之憂鬱』、久米正雄『破船』、同『学生時代』、吉田絃二郎『吉田絃二郎傑作集』の4点。第2期は日本文学の名作が中心であった。1年半で19点が刊行された[8]
第3期

1933年(昭和8年)4月10日、刊行開始。菊半裁判(164×112ミリメートル)のペーパーバック(後に、A6判(148×105ミリメートル)に縮小される)。国内外の名作の他、近藤浩一路『漫画 坊っちやん』や、江戸川乱歩パノラマ島奇談』など、エンターテインメント性の強い作品も含め、495点が刊行された[9]

1938年9月1日 - 帯色が、番号による8種から分類による5種になる。

1939年6月 - 新潮文庫刊行会設置( - 1944年8月)。

1942年5月3日 - A6判になる。

分類

黄現代小説・戯曲
赤海外小説・戯曲
感想紀行
俳句
研究評論 日本古典文学・宗教・伝記・戦記・その他

第4期

1947年(昭和22年)7月16日、刊行開始。A6判(148×105ミリメートル)のペーパーバック[10]

1950年11月25日 - 整理番号ができる。装幀が変わる。

1954年9月30日 - 創元文庫より約30点を引き継ぐ。

1958年8月5日 - 分類に「白」が加わる。

1960年 - カバー付が大幅に増える。

1965年4月30日 - 分類に「紅」が加わる。

1969年9月 - 定価表示が奥付から消える。その後、70年代末に書籍再販問題がおきたときに定価表示が復活したが、消費税導入のときにふたたび記述が消える。

1976年11月10日 - 「青」→「草」、「黄」→「赤」に統合。ISBNコードは、このときの番号(裏カバーにつけた6桁番号)をもとに設定されている。

1982年3月25日 - 初の書き下ろし『ドタンバのマナー』刊行。このころからISBNコードを付記する。字のポイントが大きくなった(以後、数次改定)。

1985年5月27日 - 50音別著者番号が始まる。色分類を廃止。

1990年8月27日 - バーコード表示が始まる。

分類

1985年までの分類。青、黄については1976年まで。現在は著者50音順。

草日本文学 小説 → 日本の作品
青日本文学 詩・評論・その他
赤海外文学 小説 → 海外の作品
黄海外文学 詩・評論・その他
白日本および海外の時代小説探偵小説など
紅時代小説・その他

Yonda? CLUB

新潮文庫の売上増進のために行われていたキャンペーン。マスコットとして、ジャイアントパンダをイメージしたキャラクターYonda?君」が採用されていた。詳細は「Yonda? CLUB」を参照
フェア

新潮文庫は収録作品が多いため、毎月テーマ別にさまざまなフェアを行っている。毎年時期がたいてい決まっており、例えば2月はミステリー、10月は歴史時代小説などである。7月と8月は「新潮文庫の100冊」、12月と1月は年末年始フェアが拡大して開かれる。
新潮文庫の100冊
1976年から開始。毎年夏に行われるキャンペーン。以前は「新潮文庫夏のキャンペーン広告」「新潮文庫ベスト100」であった。角川書店集英社も同様のイベントを同時期に行っている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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