新潟総合テレビ
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クイズタイムショック』などネットしていたクイズ番組の予選会等も、利便性のためか、長岡放送センターではなく新潟市の本社で行われていた。

新潟市中央区八千代に移転後は解体され、現在は駐車場となっている。


概要NST長岡支社(2016年5月29日撮影)

1968年昭和43年)12月16日開局。新潟県内で2局目の民間放送局で、県内初のUHF局である。

新潟県に2局目の民放テレビ局のチャンネルプランが発表された際、フジテレビなどフジサンケイグループ日本テレビなど読売新聞グループ、NETテレビ(現:テレビ朝日)など朝日新聞グループをはじめ、複数の免許申請が出されたが調整により一本化され、3社が相乗りする形で会社を設立。社名の“総合”は、その経緯からトリプルクロスネットであったことに起因する。なお、現在はフジテレビ系列のフルネット局へと移行していったため、“総合”の意味合いはほぼなくなった。

複数の放送局申請を調整し設立の行司役を田中角栄が担ったことから、設立時には本社は新潟市、演奏所スタジオは田中の運営する越後交通のお膝下である長岡市でスタートし、越後交通グループや田中真紀子ほか田中家一族らとも親密であった。

さらにフジサンケイグループのネット局として設立され、また当時から現在に続くフジテレビのネット局である。

開局当初は「楽しいテレビNST」というキャッチフレーズを掲げ、PRを図った。また初のUHF局であったことから、開局前には県内各地で催事が行われる折に、VHFチューナのみを備えたテレビで視聴するためのUHFコンバータの普及促進活動を行っていた。クロスネット当時は、上記3局に加えて東京12チャンネル(現:テレビ東京)の番組も購入して放送しており、実に4局の番組が混在する状態が続いていた。

開局以後のNSTは、自社制作番組の割合が著しく低く、番組制作に関して消極的な姿勢を見せていた。その一方で、営業活動に非常に貪欲で、CM制作やコマーシャル収入で大きな収益を上げ、民放テレビ局の年収でも、ローカル局として上位を記録していた[4][注 3]長岡放送センター跡地に建つ駒形十吉記念美術館

その後、1981年(昭和56年)4月にテレビ新潟放送網が開局し、NNNを脱退。1983年(昭和58年)10月に、新潟テレビ21が開局してANNも脱退し、フジテレビ系列のフルネット局となり現在に至る。しかしNSTはそれ以後も、昼間や深夜時間帯にはフジテレビの番組よりもむしろテレビ東京の番組を主体とした編成体制を敷いていた。更にはフジテレビの日曜の競馬中継(現『みんなのKEIBA』)も、フルネット化以後も新潟放送からネットチェンジせず、なおも自社制作率は低いままであった。

駒形の影響力が薄れた1990年代に入ってからは、まず1991年平成3年)に長岡放送センター(長岡市)を本社(新潟市)に移転統合する。2000年代には自社制作率は徐々に上昇し、フジテレビの番組の遅れネットも減少。2000年(平成12年)には新潟競馬場開催の中継と『スーパー競馬』のネットを開始し、其の翌年には仙台放送製作の東北電力一社提供番組の放送権も新潟放送から移行した事で、長年の「腸捻転」(ネットワークのねじれ現象)がようやく解消。2004年(平成16年)には本社を新潟市中央区八千代に移転するなど、設備投資を積極的に行っている。

2002年(平成14年)、新潟市中央区上所にあった本社の建物の老朽化と、後に開始される地上波デジタル放送におけるハイビジョン化を視野に入れ、現在の新社屋の建設を決定。新社屋は2004年(平成16年)10月に完成、2004年(平成16年)10月20日に本社の全機能を新社屋へ移転し、放送を開始している。この新社屋は全てハイビジョン放送に対応しており(新潟県内最速)、省エネ・太陽電池パネル付きとなっている。新社屋移転後、毎年10月には「NSTまつり」を開催している。

2010年(平成22年)3月29日、地上波デジタル放送移行に先駆けて社名の通称名称の整理を目指し、呼称を「NST」に統一した。放送上では、フジテレビ系列番組の表記は引き続き「新潟総合テレビ」を使用しているが、報道番組の制作協力、主催クレジットや新聞テレビ欄などは「NST」と表記され、呼称する(但し『FNS27時間テレビ』では系列局を紹介する際、「新潟総合テレビ」〈2014年(平成26年)から2018年(平成30年)は「新潟NST」、社名変更後の2019年(令和元年)は「NST新潟総合テレビ」〉と呼称する場合がある)。

2019年令和元年)10月1日からは、略称と社名を併用した「株式会社NST新潟総合テレビ」へと社名変更した[5]
駒形十吉について

初代社長には、当時新潟県経営者協会会長の桜井督三(北越製紙社長)が就いたが、4年後に桜井の急死に伴って1972年昭和47年)に大光相互銀行(現:大光銀行)の会長だった駒形十吉が就いた[6]。後に子息の斉に大光相互銀行社長の座を譲り会長に退くが、大光は1979年(昭和54年)秋に乱脈融資事件が発覚し強制捜査を受けることとなった。更にこれを巡って大幅な債務超過に陥っていることが発覚。1980年(昭和55年)春には上場廃止となり、これを引責する形で駒形一族は大光を追われたが、十吉のNST社長職については個人大株主であったこともありそのまま留任。1999年平成11年)の死去直前まで実権を掌握し続けた[7]。かつて元日未明(大晦日深夜)にはフジテレビのネット受けを行わず、駒形自らの出演による10分間の「社長挨拶」を放映していたことからも、それが窺える[注 4]

NSTでは、『FNNニュースレポート23:00』『FNNニュースレポート23:30』『FNNニュース工場』『DATE LINE』(『FNN Date Line』)『FNN NEWSCOM』『ニュースJAPAN』『スポーツWAVE』『FNNニュース最終版』『あしたのニュース』『ユアタイム』『FNN Live News α』などフジテレビ系列全国ネットの最終ニュースのスポンサー全てがローカルスポンサー、またはネットスポンサーの一部とローカルスポンサーの混在のいずれかとなっている。


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