2013年度(平成25年度)の年間利用客数は、国内86万3170人、国際15万3601人で合計101万6771人であった。100万人超を達成したのは、リーマン・ショックが発生した2008年度(平成20年度)以来5年ぶりである[G 5]。その後は100万人/年度前後で横這い傾向が続いている。
歴史新潟市営時代の飛行場航空写真(1946年)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
年表
1929年(昭和4年)
本州日本海側で初となる万代飛行場が、信濃川下流にある中州の万代島(現・中央区万代島。現在、中州は埋め立てにより陸続きとなっている)に開港[注釈 2]。
焼島(現・東区榎町、北越コーポレーション新潟工場付近)に沼垂飛行場が開港[N 1]。
1930年(昭和5年) : 北蒲原郡松ヶ崎浜村へ移転し、新潟市営飛行場として開港。
1941年(昭和16年) : 日本陸軍の徴用飛行場となる。
1945年(昭和20年) : 太平洋戦争終結により、連合国軍の1国であるアメリカ軍が軍用飛行場として接収する。
1950年(昭和25年) : A滑走路1,829mの供用開始。
1954年(昭和29年)4月5日 : 松ヶ崎浜村が新潟市に編入合併されたため、当空港が同市内となった。
1958年(昭和33年)
3月31日 : 連合国軍より新潟飛行場が返還される。
初の定期路線、新潟 - 東京間が開設される(使用機材はDC-3)。
1962年(昭和37年)3月15日 : 航空自衛隊の新潟基地隊が新編される。
1963年(昭和38年) : A滑走路1,314mに短縮、B滑走路1,200m新設。
1964年(昭和39年)6月16日 : 新潟地震で被災。液状化現象と津波により滑走路が浸水するなど被害が出る[注釈 3]。
1966年(昭和41年)12月 : 航空自衛隊新潟基地隊が航空救難群に編入される[G 6]。
1967年(昭和42年)10月25日 : 新潟基地隊が新潟救難隊へと新編される。
1972年(昭和47年)
B滑走路1,900mに延長。
10月27日 : 空港ターミナルビル(2代目)の改築が完了し、供用を開始。
1973年(昭和48年)
6月15日 : 初の国際定期航空路となるハバロフスク線を開設[G 7][G 8](使用機材はB727)。同日にジェット化もされた[3]。
1979年(昭和54年)12月 : 国際定期航空路・ソウル線を開設[G 7]。
1981年(昭和56年) : B滑走路2,000mに延長。
1991年(平成3年)6月 : 国際定期航空路・イルクーツク線を開設[G 7]。
1993年(平成5年)4月 : 国際定期航空路・ウラジオストク線を開設[G 7]。
1996年(平成8年)
3月28日 : B滑走路2,500mに延長して供用を開始[G 9]。
7月11日 : ターミナルビル(3代目、現在供用中)の改築が完了してグランドオープン[G 9]。