新橋駅
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- 駅番号はJO 18。

歴史新橋駅周辺の白黒空中写真(1966年6月撮影)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
JR東日本大和田建樹の生誕100周年と鉄道開業85周年に当たる1957年(昭和32年)、新橋駅汐留口前に設置された『鉄道唱歌の碑』[1]

「新橋」を称する駅が初めて開業したのは1872年10月14日明治5年9月12日)であり、日本初の鉄道として新橋 - 横浜(現・桜木町)間が正式開業した際、東京側のターミナル駅として開設された。

1909年には、後に現在の新橋駅となる烏森駅(からすもりえき)が開業。当時は現在の山手線に相当する電車専用駅であった。1914年大正3年)の東京駅完成により東海道本線の起点が変更され、同時に烏森駅を新橋駅に改称するとともに、初代の新橋駅は汐留駅に改称され、荷物列車貨物列車の専用駅となった。

開業に遅れて竣工した初代の駅本屋は、辰野葛西建築事務所が設計した万世橋駅を参考に鉄道院が設計したルネサンス様式煉瓦造りであった。その後関東大震災で駅舎の内部を焼失する被害にあったものの、構体そのものの被害は軽微であったことから屋根部分の改修で戦後まで使用されたが、東海道線と横須賀線の分離運転に伴う同線の地下ホームの建設に支障をきたすことから、1970年昭和45年)に撤去された。

上野東京ライン開業後は東海道本線の乗降客数が増加すると見込まれるため、2013年平成25年)2月22日に東海道本線のホーム拡幅工事が実施された。上り線を約400メートルに渡って最大0.78メートル西側へ移設してホームの拡幅を実施した[新聞 1]
年表

1909年明治42年)12月16日鉄道院の烏森駅として仮本屋で開業[2]。旅客営業のみの旅客駅。

1914年大正3年)

3月30日:煉瓦造りの本屋が竣工[2]

12月20日:東京駅の開業に伴い、新橋駅に改称[2]。同時に従来の新橋駅は汐留駅に改称された[2]


1925年(大正14年):駅本屋を一部改築[新聞 2]

1949年昭和24年)6月1日日本国有鉄道発足。

1968年(昭和43年)

9月25日:駅本屋を東海道新幹線高架下に移転[新聞 2]

10月1日荷物取り扱いを廃止。


1976年(昭和51年)10月1日:これまで東海道線と共用していた横須賀線のホームを地下に新設[新聞 3]。新設当初は総武快速線からの品川行き列車が停車。横須賀線列車は1980年(昭和55年)10月1日から地下ホーム発着となる。

1987年(昭和62年)4月1日国鉄分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となる。

1988年(昭和63年)3月13日:京浜東北線の快速運転開始に伴い、日中は同線が通過するようになる。

1990年平成2年)

11月17日:烏森口に自動改札機を設置[3]

11月24日:日比谷口、銀座口に自動改札機を設置[3]

12月1日:汐留地下口に自動改札機を設置[3]


2001年(平成13年)11月18日ICカードSuica」の利用が可能となる[報道 1]

2013年(平成25年)4月21日:東海道本線プラットホーム拡幅工事を実施[新聞 1]

2015年(平成27年)3月14日:上野東京ライン開業により、宇都宮線高崎線常磐線の乗り入れを開始。

2022年令和4年)3月28日:駅ナカ商業施設「エキュートエディション新橋」が開業[報道 2]


絵葉書・大正時代の新橋駅

関東大震災で内部を焼失した新橋駅

東京メトロ

1934年(昭和9年)6月21日東京地下鉄道の駅が開業した。元々は現在の都営浅草線が走っている品川駅方向に向かって計画されていたが、建設当時には渋谷駅方面を目指して計画が変更されており、それに沿って建設された。

1939年(昭和14年)1月15日には同駅から建設していた東京高速鉄道の駅が開業した。同社は東京地下鉄道の規格に合わせて建設されており、1935年(昭和10年)には直通運転の協定を結んでいたものの東京地下鉄道側の準備が整わなかったことから、同年9月16日に相互乗り入れを開始するまでの8ヶ月間、東京高速鉄道側で独自に建設した駅ホームを使用していた。

なお、この東京高速鉄道の新橋駅ホームは同社と東京地下鉄道の不仲により、東京高速鉄道側がやむを得ず急遽建設したホームとして言及される事例があるが[4]、実際には1936年(昭和11年)5月に地下鉄道・高速鉄道双方が合意して結んだ施工協定に基づき、東京高速鉄道側が自社線の列車の一部を折り返させるホームとして、計画して工事を行っていたものである[5]

その後、両社は1941年(昭和16年)9月、陸上交通事業調整法に基づく戦時下の交通事業統制によって帝都高速度交通営団(営団地下鉄)に統合されるが、運行体制を引き継いで現在に至る。当時の東京高速鉄道のホームは撤去されずに留置線として利用されている(「駅構造」参照)。このホームは現行の銀座線電車の床面より15センチ程高くなっている。なお、東京メトロによると、東京高速鉄道時代の新橋駅の設計図などは現存していないため、東京高速鉄道新橋駅の正確な駅構造は不明とされている。そのため、駅の構造や車両の大きさなど基本的な部分は変わっていないにも拘らず、なぜ新橋駅だけ電車の床面よりホームが高くなっているのかは判明していない。

1945年(昭和20年)1月27日連合国軍機の空襲を受け銀座駅の水道管が破裂し新橋駅 - 日本橋駅間のトンネルが浸水したため、新橋駅 - 渋谷駅間で折り返し運転を行うこととなった[6]。同年3月10日に全面運行が再開された[6]

現在使用されている東京地下鉄道のホームは、日本橋駅の銀座線ホームと同様に島式ホームであったが、利用客の増大により1980年9月から混雑緩和のためホームを分離させ、従来のホームを渋谷方面とし、浅草方面に単式ホームを新設してこれに割り当てている[7]。なお、虎ノ門寄りには島式ホーム時代の浅草方面の駅名標が残されていたが、2023年現在では、他と同様の物に交換されている。

2002年(平成14年)には乗り心地の改善と保安度の向上のため、新橋駅浅草方の道床更新・曲線改良をし、それに伴ってホームの拡幅工事が必要となったことから、8月25日の始発から午前8時50分まで銀座 - 溜池山王間を運休させた[報道 3]

営団地下鉄の駅は2004年(平成16年)4月1日の民営化に伴い、東京メトロの駅となって、現在に至る[報道 4]
東京都交通局

1960年(昭和35年)12月4日押上駅 - 浅草橋駅間が開業した都営地下鉄1号線(現・浅草線)は、1963年(昭和38年)12月12日に当駅まで延伸開業した。


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