『新明解現代漢和辞典』は、長澤の漢和辞典を直接引き継いだものではなく、三省堂『例解新漢和辞典』の編者のひとりである影山輝國が主幹となって新たに作られた。
その他特殊辞典
明解日本語アクセント辞典(初版1958年、第二版1981年)
金田一春彦が監修、秋永一枝が編纂。現代において使われる話し言葉を中心に、地名、人名などの固有名詞や新語・外来語も加え、その標準的な発音とアクセントを示した辞書。アクセントは、その言葉になじみのある人の発音を重視して選定しており、鼻音化や母音の無声化も注記している。文章に用いられる雅語や漢語も多く含み、よく使用する動詞・形容詞にはすべての活用形にアクセントを表示している。
新明解日本語アクセント辞典(初版2001年、CD付2010年、第二版CD付2014年)
『明解日本語アクセント辞典』の後継。長い間に変化の生じたアクセントには、注記をつけて移り変わりも示している。巻末にはアクセント習得の法則をまとめ、本文それぞれの語に習得法則の番号を示して、アクセントの仕組みを体系的に学べるようにしており、その代表的な語例の実際の音声を、別冊のCDで聞くことができる。
新明解百科語辞典(1991年)
編者は三省堂編修所。最新の科学用語から先史時代の動植物名まで、あらゆる時代における様々な分野の語を凝縮した辞書。
新明解四字熟語辞典(初版1998年、第二版2013年)
編者は三省堂編修所。日常生活で見聞きする一般的なものから中国の典籍を典拠とするものまで、あらゆる四字熟語を精選して収録した辞書。意味や出典のほか、類義語なども記載しており、作家の作品での使用例を掲載している。
新明解故事ことわざ辞典(初版2001年、第二版2016年)
編者は三省堂編修所。簡潔な意味と詳しい補説で用法を理解しやすくなるよう工夫しており、文学作品や評論に使われている「用例」を数多く掲載している。また、必要に応じて類義、対義、英語、注意なども記している。
新明解語源辞典(2011年)
編者は小松寿雄と鈴木英夫。日常の言葉を中心に選定して、その語源を一般向けにわかりやすく解説した辞書。幕末期ないし明治初期の和製漢語・翻訳語も収録している。これまでの研究を踏まえつつ、できるだけ使用例を掲げながら、諸説あるものも紹介している。
新明解類語辞典(2015年)
編者は中村明。『三省堂類語新辞典』(中村明・芳賀綏・森田良行編、2005年、日本図書館協会賞を受賞)の本文に増補を行い、再編輯したもの。位相による場面が分かるよう、ニュアンスの違いなども説明した語義解説が施されており、用例も豊富。季語、連語、慣用句、オノマトペも多く収録している。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 新明解国語辞典初版が発行された1972年(昭和47年)1月24日は、旧暦にすると明治104年12月9日であり、官版語彙が発行された旧暦の明治4年11月[9]から100年目となる[10]。
^ 「新明解」は三省堂の登録商標である[15]。
^ 「A」を引くと「B」と書いてあり、「B」を引くと「C」と書いてあり、「C」を引くと「A」と書いてある、というような状況。例えば、ある辞書で「キス」を引くと〈くちづけ。接吻〉とあり、同じ辞書で「くちづけ」を引くと〈接吻。キス〉とあり、「接吻」を引くと〈くちづけ。キス〉とある場合、これは「キス→くちづけ→接吻→キス」という換言の反復であって、語義を説明していることにはならない[32]。ただし、この語釈の在り方に関しては、「辞書は定義集ではなく、ことばを分かりやすく説明することを目的とする」ので、「客観的記述を離れても、直感的に分かる語釈であれば、それは有効だ」という意見もある[33]。
^ 語尾や順序を少し変えただけで、ほぼ同じ内容のもの。例えば、ある辞書で「かがる」を引くと〈布の端が解れないように、内側から外側へ糸を回しながら縫う。〉とあり、別の辞書で「かがる」を引くと〈裁ち目などがほつれ出さないよう、内から外へ糸をまわしながら縫う。〉とあるような場合を指す。ただし、この語釈の在り方に関しては「真似されるということは信用されているということであり、すぐれた点が多いということ」であって、「いくら真似するなといってもすぐれた辞書は何らかの点で模倣されるだろう」という意見もある[34]。
^ 初版の序文に「思えば、辞書界の低迷は、編者の前近代的な体質と方法論の無自覚に在るのではないか。先行書数冊を机上にひろげ、適宜に取捨選択して一書を成すは、いわゆるパッチワークの最たるもの、所詮芋辞書の域を出ない。」とある。この序文に登場する「芋辞書」と「パッチワーク」について、前者は〈大学院の学生などに下請けさせ、先行書の切り貼りででっち上げた、ちゃちな辞書〉、後者は〈創意の無い辞書編輯にたとえられる。〉と説明されている。
^ 例えば大野晋は「私の印象では『新明解国語辞典』の訳語の中には、適切を欠く点がかなりあるように思う」[37]と述べており、刊行直後には〈拡大鏡〉なる人物が、「よもやこのような誤釈を与えて使用者を実験動物扱いする気ではないだろうが、こうした調子で高飛車に軽々しく辞典を作り、国語の表記を論議決定されたのでは、迷惑するのは国民であり、日本語である」[38]という皮肉を込めた批判を書いている[39]。
^ 当初は編者に金田一京助・春彦父子も編者に名を連ねていた(京助は刊行前の1971年に死去)。ただし、春彦は「行き過ぎた語釈の修正を再三にわたって申し入れたが、聞き入れられなかった」ことを理由に、第四版から「編集委員」を辞している[40]。