新明解国語辞典
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見出しを表音式かなづかいとし、口語体で簡潔な語釈につとめた「明国」は、1943年という戦時中の物資不足のなかで発売され、コンパクトながら引きやすく分かりやすい実用的な辞書として広く受け入れられた[21][22]

戦後の改訂版(1952年)を挟んで[23]、上述の三人による協力体制で改訂作業が続けられていた「明国」だったが(途中から柴田武が加わる)[24]1960年に「三国」が刊行された頃から[25]、見坊は徹底的な用例採集の必要性を痛感し[25]、それに多くの時間を割くようになり、「明国」の改訂作業が滞りがちになっていった。そこで、三省堂は「明国」改訂版の取りまとめを、山田に一任することとした[26]

こうして山田の主導のもと、1972年に完成された改訂版が、『新明解国語辞典』(新明国)である[26]。山田は、改訂作業をほとんど独断で行い[27]、さらには序文において、基礎作業に多大な時間を費やす見坊を「事故有り」と表現し、自分はやむなく主幹を継承し、内容の刷新に踏み切ったという態度をとった[28]。これにより両者は袂を分かち、以降見坊は「三国」、山田は「新明国」の代表として、それぞれの辞書づくりを進めていくことになった[29]
ユニークな語釈とその反響

山田は国語学者として主に古典分野で確固たる地位を築いていた一方で、辞書史研究をライフワークのように継続していた[30][31]。その中で山田は、堂々巡りの語釈[注 3]や既存の辞書の引き写し(盗用・剽窃)のような語釈[注 4]という、それまでの国語辞典が陥っていた問題点に気づき[注 5]、これらを徹底して排除する必要性を痛感していた[31][35]。その解決手段として、文章で語の内容を詳しく説明する方針によって、類義語を示すだけの語釈を避け、他社に模倣をためらわせる高い独自性のある語釈を構想するようになった[35]。それが結果的に言葉や物事に対する独特の視点による文明批判に及ぶことになった[36]

「文章による語釈」を可能な限り徹底し[35]、かつ山田の独力でほぼ全体を執筆した「新明国」は[27]、刊行されてから間もなく各方面から批判があったが[注 6]、一部の語の記述において山田自身の意見や人生経験が色濃く反映されることがあり、呉智英武藤康史井上ひさしなどから、従来の国語辞典の概念を超える特殊な面白さが指摘されるまでになった。「読んで面白い辞書」としての反響は出版・文筆業界にとどまらず、既に1980年代前半(昭和50年代後半)に放送されたラジオ番組『大橋照子のラジオはアメリカン』には、「金田一先生の辞書」[注 7]としてリスナーによりネタにされ、番組を盛り上げるのに一役買っていた[41]。「新明国」の語釈を紹介するコーナーがあり[注 8]、同時期に出版されていた雑誌『ぴあ』の読者投稿欄でも同様の記事が掲載されていた[42]。さらに1996年(平成8年)芥川賞作家の赤瀬川原平が発表した随筆『新解さんの謎』がベストセラーとなると[注 9]、一般にも広く知られるところとなった[44]21世紀になってからは、「タモリのジャポニカロゴス」(フジテレビ系)をはじめとしたテレビ番組マスコミでもたびたび紹介されている[41]

こうした「新明国」の強烈な個性は、言葉の説明を通して、ある種の世間知を記述・共有し、円滑なコミュニケーションに資するという理念から生まれたもので、語から受ける印象や、実社会での用い方の参考として有意義な側面がある[45]。しかし一方で、ときに偏見と思われるような、特定のモノやサービスについての印象を貶める表現になっている項目があり[注 10]、抗議によって修正を余儀なくされる事態さえ起こった[注 11]

山田の歿後、柴田武が編者代表となった第五版からは「編集会議」による意見交換が行われるようになり[27]、「語のイメージを喚起する豊かな記述」という方針はそのままに、悪意や偏見と取られかねない記述はできるだけ避ける方向へと舵が切られている。
現在

2020年11月発行の第八版が最新版である[1]。「新明解」の名はブランドとなり、この語を冠した古語辞典漢和辞典、アクセント辞典などの特殊辞典が続々と出版された[注 12][16]。1980年代までの日本の公立中学は全国単位で新明解辞典の3冊一括購入が推奨されていたが、現在の新明解国語辞典は対象が高校から一般に修正されている。さらに三省堂や他社が新たなタイプの国語辞典を次々と投入したため、新明解のシェアが高校採択の過半数を超えるということはなくなった。

ラインナップとして、並版と装丁の異なる特装版・革装版と、判型の異なる小型版・机上版・大字版がある[3]。特装版は特製ケースに白い表紙カバーを採用したものであり、第五版より追加された。また第七版ではサイズが従来よりも若干大きくなっている[48]。第七版では特装版のほか、「新明国」初版の色に由来する特装青版も限定発売されている[49]。第八版では初版に倣い普通版(赤)、白版、青版の三色が最初からラインナップされた[2]
改訂履歴
明解国語辞典詳細は「明解国語辞典」を参照

各地で旧制中学校・女学校の指定辞書として採用されたこともあり、初版は61万部、改訂版は500万部が販売された[50]
初版

書名は正字で『明解國語辭典』である。

1943年(昭和18年)5月10日発行,4円[51]

改訂版

書名は当用漢字に改め『明解国語辞典』となる。

1952年(昭和27年)4月5日発行[51],380円,全国書誌番号:49007119 .


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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