新律綱領は名例律上13条、名例律下27条、職制律15条、戸婚律11条、賊盗律22条、人命律上10条、人命律下16条、闘殴律14条、罵詈律5条、訴訟律8条、受贓律10条、詐偽律9条、犯姦律5条、雑犯律10条、捕亡律6条、断獄律11条の合計14律192条が全6巻に編纂されている[9]。
内容として、名例律で刑罰の執行方法について規定しその他の律で個別具体的な場合について罰則規定を設けた。刑罰は五刑(笞罪・杖罪・徒罪・流罪・死罪)および閏刑を設け、身分による刑罰執行方法を区別している。士族の閏刑(同様の閏刑は、明治4年6月27日の官吏、僧侶が戒律を破る甚しき場合でない犯罪で流刑以下の刑罰が科せられた場合)において、笞罪を謹慎、杖罪を閉門、徒罪を禁錮、流罪を辺境地守備役(明治4年6月27日以降は禁錮刑へ換刑[12])、死罪を自裁(切腹)で代替できるとした[13]。死罪については絞首刑および斬首刑を基本とし、梟首の制度が一部残存した[14]。職制律では官を中心とした刑罰が規定され、公文書の破損や棄却、誤字などの罰則、離職についての規定などが盛り込まれている[14]。
全体としては家制度が色濃く残された規定が多く制定されており、人命律において家族(祖父母、父母、姑、兄姉など)の殺害は須く死刑とされていたり、闘殴律において妻が夫を殴り、大病に至らしめた場合は死罪、その逆は無罪といった内容が規定され、罵詈律では職階や家族関係などにおいて下の者が上の者を罵った場合についての罰則が規定されている[14]。訴訟律においても子、孫、妻、妾などが親や夫を告訴する場合は造反とされ、処罰の対象となっている[14]。
また、仮刑律で存在していた復讐規定は1870年に禁止が決定され、新律綱領からは削除された[14]。
刑罰新律綱領の刑罰については「刑法_(日本)#明治初期の刑法典」を参照
脚注^ a b 平凡社『世界大百科事典第2版』新律綱領-コトバンク