新宿武蔵野館
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オープン当日のプログラムは、細山喜代松監督の日本映画短夜物語』とデル・ヘンダースン監督のアメリカ映画『嫉妬に燃える眼』が上映された[1][2]

1923年9月1日、関東大震災で被災するも、同年10月6日に営業再開[3]。1925年2月27日にはパラマウント映画製作の特作映画『十誡』を浅草帝国館と共にロードショー上映している。

1928年12月14日、武蔵野館は新宿三丁目(当時は東京府豊多摩郡淀橋町角筈1丁目1番地)に移転し、1,500席の洋画ロードショー館に転向。

1929年5月7日、同館初のトーキー作品『進軍』『島の唄及び海を越えて』(『南国の唄』、『Royal hawaiian dance』としても公開)の試写会が行われ[4]、翌々日の5月9日には一般上映が開始。「戻橋 (映画)」も参照

1929年10月、トーキー映画の普及により所属弁士の業務削減を開始。山野一郎は休養、徳川夢声は他館に回ることとなった[5]

1931年5月、松竹の洋画興行チェーンがパラマウント映画チェーンと合併し「松竹パ社興行社」となる。武蔵野館は有楽町邦楽座(後の丸の内ピカデリー)や浅草大勝館電気館などと共に「SPチェーン」のフラッグシップとして洋画をロードショー上映するも、わずか2年でSPチェーンは解散してしまう。「大勝館#黎明期の映画常設館」も参照
新宿駅を中心とした1937年(昭和12年)の地図。駅の東側(右側)の角筈町1丁目(現在の新宿3丁目)に、同館のほか新宿劇場新宿座帝国館等が密集している。
戦後

1968年12月、武蔵野ビルを改装し、7階に500席(後に334席に減少)の映画館「新宿武蔵野館」として再オープン。
東宝洋画系作品のロードショー館(特にみゆき座で上映される作品が多かった)として営業を続ける。

1994年10月4日、武蔵野ビル3階にミニシアター「シネマ・カリテ1・2・3」(各84席)がオープン。

2000年4月、「シネマ・カリテ3」が拡張工事により133席になり、「シネマ・カリテ1」に変更(同時にそれまでの「1」が「3」に改称)。同時に3階ロビーなども改装。

2002年1月1日、7階の「新宿武蔵野館」を「新宿武蔵野館1」に、3階の「シネマ・カリテ1・2・3」を「新宿武蔵野館2・3・4」に改称。同時に3階ロビーなども改装。

2003年9月30日、7階にあった「新宿武蔵野館1」が閉館。それに伴い、3階の「新宿武蔵野館2・3・4」を「新宿武蔵野館1・2・3」に改称し、現在の3館体制となる。それ以降はみゆき座やシャンテ・シネ(現:TOHOシネマズシャンテ)、シネスイッチ銀座などで上映されるアート系の作品に加え、日活ロマンポルノB級ものの邦画・洋画もレイトショー興行するなど、幅広いジャンルの作品を世に送り出している。

2012年1月、シアター1と2にデジタル上映設備、シアター3にブルーレイ上映設備を新設。

2016年1月30日から耐震性補強と改装のため、一時休館となった[6]

2016年11月5日、工事が終了しリニューアル・オープンする。
リニューアル前の外観(2010年8月撮影)
座席数

武蔵野館1:133席

武蔵野館2:83席

武蔵野館3:85席

関連項目

武蔵野興業 - オーナー企業

徳川夢声 - 新宿武蔵野館の主任弁士だった[7]

山野一郎 - かつて活躍した日本の活動弁士。1923年頃から武蔵野館に勤務していた。

シネマカリテ - 2012年開館の映画館

関連文献

武蔵野興業株式会社 監修 『映画の殿堂 新宿武蔵野館』 開発社、2011年12月、
ISBN 978-4-7591-0135-5

脚注^ 武蔵野興行株式会社『映画の殿堂 新宿武蔵野館』開発社、2011年12月1日、76頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-4-7591-0135-5。 
^ 東京朝日新聞 1920年6月30日朝刊4面

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