新唐書
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本書の編纂に参画した呂夏卿は、本書の成立の直後に『唐書直筆新例』1巻を著すと、呉?は『新唐書糾謬』20巻を著した。

代に盛んとなった中華思想を背景に、本書には復古的で儒教的な道義を重視する態度が貫かれている。「春秋の筆法」と呼ばれる主観的な叙述を用いているため、客観性を欠くという指摘がなされている。また、李白が乗船中、酒に酔って水面に映る月を取ろうとして船から転落して死亡した、と言う有名な俗説を取り入れてしまっている点も批判されている。

朝の王鳴盛(『十七史商?』)や趙翼(『二十二史箚記』)に代表される考証学の学者たちも、本書に対しては批判的である。

天体観測の記録も含まれており、天文学史の分野においては775年の宇宙線飛来と思われる記述など当時の天文現象を記述した貴重な資料となっている。
日本について

『新唐書』巻二二〇、東夷日本伝に「天智死、子天武立。死、子總持立。咸亨元年、遣使賀平高麗、後稍習夏音、悪倭名、更号日本」とあり、咸亨元年すなわち670年より後に總持(持統天皇か)が「」をあらためて「日本」と号したとの記述がある[2]。『旧唐書』では倭と日本が並立した状態で書かれているが、『新唐書』では「日本伝」としてまとめられている。

隋の開皇末に天皇家の目多利思比孤が初めて中国と通じたと書かれている。そして、日本の王の姓は阿毎氏であること、筑紫城にいた神武が大和を統治し天皇となったことなどが記載されている。出典は示されていないが、宋史日本伝の記事から、東大寺の僧侶「然太宗に献上した『王年代紀』を参照したと考えられている。其王姓阿?氏 自言初主號天御中主 至?瀲 凡三十二世 皆以 尊 爲號 居築紫城 ?瀲子神武立 更以 天皇 爲號 徙治大和州 次曰綏靖 次安寧 次懿コ 次孝昭 次天安 次孝靈 次孝元 次開化 次崇神 次垂仁 次景行 次成務 次仲哀 仲哀死 以開化曾孫女神功爲王 次應神 次仁コ 次履中 次反正 次允恭 次安康 次雄略 次清寧 次顯宗 次仁賢 次武烈 次繼體 次安 次宣化 次欽明 欽明之十一年 直梁承聖元年 次海達 次用明 亦曰目多利思比孤 直隋開皇末 始與中國通 次崇峻 崇峻死 欽明之孫女雄古立 次舒明 次皇極 ? 新唐書卷220 列傳第145 東夷[3]

以上のとおり天御中主から?瀲までの32世、天皇は神武天皇以下皇極天皇まで列挙されている。またその後には光孝天皇までが詳述されている。ただし、天御中主から?瀲までの世数は宋史日本伝では「二十三世」であり、全ての名前が列挙されて数も合っているため、「三十二世」は二と三を取り違えた可能性が高い。『古事記』や『日本書紀』と異なる記事で注目される。

また遣唐使に加わった橘逸勢空海等の名が見える。最後に「邪古 波邪 多尼三小王」について触れられ(時代は明らかでない)、これらは屋久島隼人種子島のことともいわれる。

なお、唐書を読んだフビライ・ハンは、「日本には金銀を豊富に産出するとある」と書かれていたことから日本に興味をもち、親交を結ぼうとしたが、当時の執権である北条時宗にすげなく断られたことがフビライの逆鱗にふれて、元寇につながったとされる。
内容
本紀
本紀第一
高祖

本紀第二 太宗

本紀第三 高宗

本紀第四 則天皇后中宗

本紀第五 睿宗玄宗

本紀第六 粛宗代宗

本紀第七 徳宗順宗憲宗

本紀第八 穆宗敬宗文宗武宗宣宗

本紀第九 懿宗僖宗

本紀第十 昭宗哀帝


志第一 礼楽一

志第二 礼楽二

志第三 礼楽三

志第四 礼楽四

志第五 礼楽五

志第六 礼楽六

志第七 礼楽七

志第八 礼楽八

志第九 礼楽九

志第十 礼楽十

志第十一 礼楽十一

志第十二 礼楽十二

志第十三上 儀衛上

志第十三下 儀衛下

志第十四 車服

志第十五 暦一

志第十六 暦二

志第十七上 暦三上

志第十七下 暦三下

志第十八上 暦四上

志第十八下 暦四下

志第十九 暦五

志第二十上 暦六上

志第二十下 暦六下

志第二十一 天文一

志第二十二 天文二

志第二十三 天文三

志第二十四 五行一

志第二十五 五行二

志第二十六 五行三

志第二十七 地理一

志第二十八 地理二

志第二十九 地理三

志第三十 地理四

志第三十一 地理五

志第三十二 地理六

志第三十三上 地理七上

志第三十三下 地理七下

志第三十四 選挙上

志第三十五 選挙下

志第三十六 百官一

志第三十七 百官二

志第三十八 百官三

志第三十九上 百官四上

志第三十九下 百官四下

志第四十 兵

志第四十一 食貨一

志第四十二 食貨二

志第四十三 食貨三

志第四十四 食貨四

志第四十五 食貨五

志第四十六 刑法

志第四十七
芸文

志第四十八 芸文二

志第四十九 芸文三

志第五十 芸文四


表第一 宰相上

表第二 宰相中

表第三 宰相下

表第四 方鎮一

表第五 方鎮二

表第六 方鎮三

表第七 方鎮四

表第八 方鎮五

表第九 方鎮六

表第十上 宗室世系上

表第十下 宗室世系下

表第十一上 宰相世系一上 - 西眷裴氏・洗馬裴氏・南来呉裴氏・中眷裴氏・東眷裴氏・彭城劉氏・尉氏劉氏・臨淮劉氏・南陽劉氏・広平劉氏・丹陽劉氏・曹州南華劉氏・河南劉氏


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