新古典派経済学
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新古典派経済学は自由放任主義(レッセフェール)の理論であるとの見解がしばしば表明されてきたが、ジョン・メイナード・ケインズ以前あるいはケインズ以外の自由主義経済学派の系統と呼ぶのがより実体に近く、政治思想としての自由放任主義、とくにリバタリアニズムアナキズム(無政府主義)とは大きく異なり、公共財の供給や市場の失敗への対処、あるいはマクロ経済安定化政策など政府にしか適切に行えないものは政府が行うべきであるとするなど、政府の役割も重視する。新古典派経済学の源泉は、道徳哲学の延長にあり[4]、(新古典派経済学などの伝統的経済学では)社会的・文化的要素は基本的に重視されない[5]

自由主義の観点では、たとえばレオン・ワルラスはすべての国土の国有化を提唱しており[注釈 1]、無条件で手放しの自由放任主義者ではない。ワルラスによればアダム・スミス流の経済学はむしろ応用の側面から経済学を定義したものであって、理想的な社会実現の夢を膨らませていたワルラスは「土地社会主義」を基礎として、そこから完全競争社会、ひいては完全な人間社会を描こうとした[6]

マーシャルが創設したケンブリッジ学派においては、不完全な人間が作った経済が完全であるはずがないとの共通認識があった。マーシャルは自由放任主義に基礎をおく価格決定論(ワルラスの一般均衡)には批判的であり、不完全競争の世界を前提とした部分均衡分析を活用した[7]
失業

古典派あるいは新古典派とケインズ経済学との差異の一つは失業の取り扱いであり、新古典派はケインズの否定した古典派の公準を採用しており、長期における非自発的失業が存在しない状況を基本として考える点に特徴がある[8]

古典派経済学では、労働市場は「賃金が伸縮的に調整されることによって、労働の需要と供給は必ず一致し、求職者の失業者は存在しない」と考えている[9]。新古典派の経済では、賃金・物価に対応して労働・財の需給が決まることを前提とする[10]。市場では需給が一致するように価格が調整されるため、市場の調整機能が完全であれば、労働市場・財市場でも、失業在庫はないとしている[10]

ただし、新古典派的な市場が成立するには、様々な仮定が必要であることが指摘されており、例えば新古典派的な市場では完全競争が前提とされており、「財・サービスの売り手と買い手が多数存在し、それぞれが価格を操作できない」という仮定が設けられる[11]。また、新古典派的な市場では、「売り手と買い手双方が情報を持っており、提供できる財・サービスの質は同じ」という前提となっている[11]。現実には、価格決定に影響力を持つ企業の独占寡占は広汎に確認され、また労働市場でも失業者は普通に存在する[11]。その後、「情報の非対称性」「労働市場・資本市場の硬直性」の導入、「独占的競争」の前提など、経済モデルは修正されている[11]

新古典派の立場では、政府の積極的な財政政策金融政策は失業の役には立たず、むしろ政府による資源の浪費をもたらすだけで終わるとされている[12]
新古典派と新しい古典派

新古典派経済学と立場が似ているものとして、いわゆる新しい古典派(New classical economics)というものが存在する。新しい古典派は新古典派的な考え方を前提としてはいるが一方で期待という概念や合理的な代表的個人などを導入するなど、両者は異なる。成立としては新古典派よりも新しい古典派のほうが新しく、マネタリストの影響も受けている。
新古典派総合

新古典派総合学派とは、市場機能を重視する(新古典派)一方で、裁量的な財政・金融政策の有効性(ケインズ経済学)を認める学派である[13]。新古典派総合では、完全雇用でない場合、価格が硬直的であるためケインズ経済学は有効であるが、完全雇用である場合、価格が伸縮的であるため新古典派経済学が有効であるとしている[14]
批判

新古典派経済学には、他の経済学からの批判がある。

『進化経済学ハンドブック』には、新古典派経済学のドグマとして、以下の7つのドグマが指摘されている[15]

均衡のドグマ

価格を変数とする関数のドグマ

売りたいだけ売れるというドグマ

最適化行動のドグマ

収穫逓減のドグマ

卵からの構成のドグマ

方法的個人主義のドグマ

ジョン・メイナード・ケインズは、新古典派経済学(ただし、彼はこれを古典派経済学と呼んでいる)の最大の問題点としてセイの法則を挙げた[16]。これに対し、ケインズが設けた概念が有効需要であった。

リチャード・ヴェルナーは、「銀行が閉鎖され一般の業務が停止されたとしても、投資家は資本市場で資金を調達できる」と新古典派経済学が主張していると述べた上で、その主張が以下に掲げた二つの現実を無視すると考える[17]

中小企業は大半の国で銀行に依存している。

銀行融資は新規購買力を生み出すが、資本市場での資金調達は単に購買力を再分配するだけであるため、経済全体に関するかぎり、資本市場での資金調達は銀行融資の代替とはなりえない。

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