新党改革
[Wikipedia|▼Menu]
10月19日には、衆議院でも自民党と統一院内会派を組むことで合意した[14][15]

12月25日、松下新平が第22回参議院議員通常選挙で自民党公認で出馬する意向を示した。松下が離党すると政党助成金をもらえる政党要件を満たさなくなるところであったが、参議院議員山内俊夫が2010年1月5日に自民党を離党、1月8日に改革クラブに入党したため、政党要件を維持した。その後、松下は1月14日に離党[16]、翌15日に自民党に入党しており、松下と山内は両党間でトレードのような形で移籍したことになる。なお、改革クラブのホームページでは今回の出来事が全く記載されていない。
舛添要一の合流と党名変更

2010年4月23日、自由民主党を離党した舛添要一らが改革クラブに合流し、名称変更(対外的には新党結成)した[9]。新たな政党結成ではなく党名変更であるため、改革クラブへの政党助成金の交付はこれまで通り受けることができる。なお、舛添は、自由民主党の参議院比例代表選出議員であるが、2007年の当選時には改革クラブは政党として存在していなかったため、公職選挙法の定める移籍の制限には抵触しない[注 1]

舛添を党首とする動きに反発し、4月22日に中村喜四郎が離党[17]。翌23日に大江康弘も「誘われたが、政党交付金目当てで大義名分がない」と批判して離党[17][18]。改革クラブの新党移行により衆参の統一会派「自由民主党・改革クラブ」が消滅。中村は引き続き衆議院で自由民主党との統一会派「自由民主党・無所属の会」に参加し、活動した。

4月23日、舛添代表が都内で「新党改革」の結成会見を行った。なお、新党改革の旗揚げに際して、代表の舛添は略称を「ますぞえ新党」とする方針を表明していたが、公職選挙法86条の7第1項後段は、届出る政党の名称や略称に代表者の氏名を類推させる表現の使用を禁じており、中央選挙管理委員会が認める見込みがないことが判明したことから、この略称使用は幻に終わった[19]

6月の鳩山由紀夫内閣総辞職に伴う首班指名選挙では舛添代表を全員支持。

7月11日に行われた第22回参議院議員通常選挙において、比例区での得票率が2.0%となり、政党助成法における政党要件を引き続き満たし、2016年7月までは国会議員が1人以上所属していれば政党要件を満たすことになった。だが議員数は参議院で6人から2人へと激減し、活動に制約がかかることから7月16日たちあがれ日本と参議院で統一会派「たちあがれ日本・新党改革」を結成した。参議院会派としては5人となり、予算委員会での質疑に参加できるようになった。

2011年8月の菅第2次改造内閣退陣に伴う首班指名選挙では1回目は舛添に投票。決選投票においては自由民主党・公明党だけでなく同会派のたちあがれ日本も自由民主党総裁・谷垣禎一を支持した中、白票を投じた。

2012年1月18日、たちあがれ日本との統一会派を解消する(たちあがれ日本は翌19日に自民党と統一会派結成)。

2012年12月の第46回衆議院議員総選挙比例東北ブロック[20]および比例東京ブロックに比例代表公認候補を擁立した[21]。また、他の政党の公認候補11名を推薦した。選挙の結果2名とも落選し、衆議院での議席獲得はならなかった。2013年7月第23回参議院議員通常選挙に改選を迎える舛添代表は不出馬を表明し、他にも党公認候補を擁立しなかった。したがって新党改革所属議員は荒井幹事長1人となる。

党幹部だった矢野哲朗は「(舛添体制時代の)新党改革は総会も役員会も一度も開かれていなかった」と述べている[22]
荒井広幸代表時代

2013年7月22日、役員会において、舛添代表の辞任と荒井新代表の就任が決まり[23]7月23日に代表異動の届出をした[24]

7月24日、無所属の参議院議員平野達男浜田和幸の2名が会派入りし、会派名を「新党改革・無所属の会」に変更する[25](浜田は2014年11月に次世代の党に入党し会派を離脱)。

2014年1月に舛添要一が2014年東京都知事選挙への立候補において無所属で立候補をすることを目的に離党した。

11月25日、第47回衆議院議員総選挙では、比例東京ブロックでの候補者の擁立を発表し、小選挙区では一部の自民党候補を推薦することを決定したが、議席獲得には至らなかった。同月、新党改革ブックレット「ホワイトブック」vol.1『居住コンセプト 原発事故被害者の健康と安全のための新たな居住制度確立に向けた提案』を発行する。

2015年1月26日、無所属の衆議院議員野間健が「新党改革・無所属の会」に会派入りし衆参3人の会派となる[26]

2015年7月の参議院選挙制度改革では、荒井代表によって4つの選挙区を2つに合区して参議院合同選挙区を創設する「10増10減」案が立案され、可決・成立した[27][28]

8月、平和安全法制の修正案を日本を元気にする会・次世代の党と共同提出した。最終的に付帯決議に取り込まれる形で与党に受け入れられ、これら野党3党と自民・公明を合わせた5党の賛成により同法案は9月19日、可決した[29]

12月18日、野間が「新党改革・無所属の会」を退会し、民主党・維新の党を中心に結成された院内会派「民主・維新・無所属クラブ」に参加した[30]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:62 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef