新京
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緯度は日本の旭川、経度は朝鮮新義州付近に相当し、標高は山梨県甲府市付近に匹敵する[5]

市街東部を伊通河が北流し、飲馬河と陶頼昭付近で合流して第二松花江に注いでいる。新京は北満平野の南端に位置し、周囲には広漠たる沃野が展開した。南東方向には石碑嶺の連丘を望み、南西には懐徳から公主嶺を経て伊通付近に及ぶ丘陵が起伏し、これらは満洲を南北に分かつ分水嶺を構成している。
沿革

ここでは新京特別市成立以前及び満洲国崩壊後の「長春」の沿革も併せて記述する[6][注釈 2]

1800年嘉慶5年) - 吉林将軍管轄下の「長春庁」が長春堡(新立屯)に設置され、理事通判を駐箚させる。

1825年道光5年) - 長春庁の所在地が南に偏在していたため、北方の寛城子(後の長春城)へ移転する。

1882年光緒8年) - 理事通判を廃止して撫民通判が置かれる。

1889年(光緒15年) - 長春庁が長春府に昇格し、知府が置かれる。

1908年(光緒34年) - 吉林兵備道台が設けられ、長春府及び伊通州を行政下に置く。

1909年宣統元年)

満鉄附属地と城内の間に商埠地が画定され、その一般行政を管掌するために商埠局が設置される。

吉林兵備道台が吉林西南路観察使と改称され、農安、長嶺、徳恵の3県をその管内に加える。


1912年民国元年) 観察使を道伊と改め、吉長道伊公署と改称する。

1913年(民国2年) - 長春府を長春県と改称し、県公署を設置する。

1925年(民国14年) - 当時の道伊が新たに「長春市政公所」を設立し、「市自治制」による市制を企画する。

1929年(民国18年)

道伊公署の廃止により長春交渉員(後に長春市政準備処長を兼任)が配置され、城内及び商埠地を行政下に置く。

9月、長春市政公所が商埠局を合併し「長春市政準備処」と改称する。


1932年(民国21年/大同元年)

1月1日 - 軍閥政権消滅に伴い、長春市政準備処は「長春市政府」と改称し、長春市が正式に成立する。

2月25日 - 「東北行政委員会」が発表した「新国家組織大綱」で、満洲国国都を長春とする事が発表される。

3月10日 - 満洲国国都が長春に定められたのに伴い[2]、特別市に指定される(長春特別市の成立)。

3月14日 - 長春が新京と改称されたのに伴い[3]、長春市政府は「新京特別市政公署」と改称し、新京特別市が成立する。

8月17日 - 「特別市制」(大同元年8月17日教令第77号)を公布。

10月15日 - 首都警察庁が正式成立し、長春市公安局及び長春県公安局を統合する[7]

11月1日 新京における各郵電局台の名称を「長春」から「新京」に改称する[8]。また、満鉄附属地側も新京と称するようになる[注釈 3]


1933年(大同2年)4月19日 - 特別市制実施に伴い、新京特別市政公署は「新京特別市公署」と改称する。

1936年(康徳3年)2月1日 - 北満特別区公署の廃止に伴い、寛城子を編入する。

1937年(康徳4年)

10月1日 - 行政区域の拡大に伴い、双陽県及び長春県の一部を編入する[9]

12月1日 - 治外法権撤廃により満鉄附属地の行政権が新京特別市に移譲される[10]。市区条例の実施に伴い、18区(市街区12区・農村区6区)を設置する。


1940年(康徳7年)1月1日 - 14区(市街区8区・農村区6区)に改編する。

1942年(康徳9年)1月1日 - 16区(市街区10区・農村区6区)に改編する。

1943年(康徳10年)6月1日 - 行政区域の拡大に伴い、通陽県[注釈 4]及び長春県の一部を編入し[11]、18区(市街区10区・農村区8区)に改編する。

1945年(康徳12年/民国34年)

8月13日 - ソビエト連邦の満洲侵攻に伴い、通化省臨江県大栗子へ遷都。

8月17日 - 重臣会議により、満洲国の解散及び新京から長春への改称を決議。

8月18日 - 満洲国皇帝退位。満洲国解散。

8月19日 - 旧政府出身者による「東北地方暫時治安維持委員会」を設立。

8月20日 - 赤軍(ソビエト連邦軍)に占領されて軍政下に置かれる。新京特別市公署は「長春市政府」と改称[12]

9月1日 - 旧称の長春市に正式に改称する(新京特別市の消滅)。

11月15日 - 赤軍の手引きで進出した中国共産党の劉居英が市長となる。

12月20日 - 中華民国国民政府により、改めて長春市政府が設置される。


人口
建国前の人口

満洲国建国以前の人口は、1930年民国19年)3月末の統計で、城内約46,000人、商埠地約44,000人の計約9万人とされた。1931年(民国20年)12月末の統計で、満鉄附属地は32,636人、寛城子附属地は4,493人であり、合計しても約13万人に過ぎなかった[13]。新京奠都後は満洲国政府官吏とその家族を始め、土木建設業者や商工業者が集中する事により人口の増加が著しくなった。
建国後の人口

1933年(大同2年)4月15日に臨時戸口調査を実施し、その時点で人口は126,309人(附属地を除く)だった。1934年(康徳元年)3月の首都警察庁の調査によると、総人口は141,712名(同)に増加した[14]。その後も人口は増え続け、1936年(康徳3年)10月末に302,075人(附属地含む)、1942年(康徳9年)4月には655,324人(同)に達した。1944年(康徳11年)には863,607人(同)に達している。

なお、満洲国では国籍法が制定されなかったため、下記の「満洲人」は暫行民籍法に於ける漢族満洲族蒙古族の総称である。また「日本人」は内地人(沖縄含む)を指し、朝鮮半島出身者は「朝鮮人」又は「半島人」と表記する。外国人・その他はロシア人を含む第三国人、民族不明は満洲人だが民族が判らない者である。
1933年

城内及び商埠地人口(大同2年4月15日:特別市調査)[15]内訳合計男女
総人口126,309人77,197人49,112人
満洲人122,040人74,463人47,577人
日本人1,519人1,064人455人
朝鮮人1,234人663人571人
外国人69人48人21人
民族不明1,447人959人488人

附属地人口(大同2年3月末:新京日本警察署調査)[15]内訳合計男女
総人口42,677人28,144人14,533人
満洲人22,165人16,869人5,296人
日本人17,288人9,539人7,749人
朝鮮人2,765人1,501人1,264人
外国人459人235人224人

1934年

首都警察庁管内人口(康徳元年9月末)[16]内訳合計男女
総人口145,436人88,542人56,894人
満洲人139,302人85,054人54,257人
日本人4,418人2,591人1,827人
朝鮮人1,678人892人786人
外国人38人14人24人

附属地人口(昭和9年9月末:新京日本警察署調査)[16]内訳合計男女
総人口58,459人39,648人18,811人
満洲人26,288人21,214人5,074人
日本人29,268人16,721人12,547人
朝鮮人2,525人1,517人1,008人
外国人378人196人182人

1936年

民政部調査(全満洲人口調査:康徳3年10月末)[17]内訳合計特別市附属地
新京全体302,075人237,723人64,352人
満洲人236,825人209,991人26,834人
日本人57,663人23,707人33,956人
朝鮮人6,806人3,531人3,275人
外国人781人494人287人

1942年

新京特別市民族別人口表(康徳9年4月20日時点)[18]内訳人口
総人口655,324人
満洲人506,768人
日本人(朝鮮人含む)147,724人
その他(蒙露を含む)728人

1944年

新京特別市民族別人口表(康徳11年11月25日時点)[19]内訳人口
総人口863,607人
満洲人680,216人
日本人153,614人
半島人29,185人
その他592人

人口累年比較

1932年(大同元年)は、国務院国都建設局『國都大新京』5頁、1933年(大同2年)?1939年(康徳6年)は、国務院総務庁統計処『満洲帝國統計摘要 康徳六年版』33-35頁、同『満洲帝國國勢圖表』5-6頁、1940年(康徳7年)以降は『満洲年鑑』各巻等を参照。1937年(康徳4年)以降は満鉄附属地を含む。

なお、各種統計資料により累計人口に相違があるが、本表では国務院総務庁統計処の資料に基づいた。

年度総数男女
1932年(大同元年)104,305人男女別詳細不明
1933年(大同2年)140,945人82,913人58,032人
1934年(康徳元年)160,381人98,474人61,907人
1935年(康徳2年)248,426人155,420人93,006人
1936年(康徳3年)246,824人149,357人97,467人
1937年(康徳4年)334,692人200,202人134,490人
1938年(康徳5年)378,325人226,244人152,081人
1939年(康徳6年)415,473人248,921人166,552人
1940年(康徳7年)5月末447,300人男女別詳細不明
1941年(康徳8年)7月末527,445人
1942年(康徳9年)4月末655,324人
1943年(康徳10年)5月末約720,000人
1944年(康徳11年)863,607人


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