新しい単純性
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だが1920年代になると、主情主義のうちでも抑制の効いた、節度のあるものを表した。新ロマン主義は、表現主義者のゆき過ぎた表現を煎じ詰めて、変わらぬ思いという残留物を取り出すのである。」

したがって、20世紀前半の新ロマン主義音楽とは、ロマン主義への復帰を意味するものではなく、文字通りに「新しくなった」ロマン主義という意味だったのである。ロマン主義が「新しくなった」と前提することは、ヨーロッパ中心のロマン派音楽の時代がいったん終焉したことを認め、証明するものであった。それでもなお、20世紀において同時代のモダニズム音楽の人間不在を嘆き、芸術音楽に人間性を回復しようと目論んだ姿勢を見落としてはならない。伝統的・通俗的な音楽語法への回帰という発想の有無を除けば、同じような批判は、メシアンジョリヴェらの同時代の作曲家とも共有される側面があったからである。
最後のロマン主義者と遅れてきたロマン主義者

1920年代以降に、ストラヴィンスキーヒンデミットフランス6人組を中心として新古典主義音楽が盛り上がり、モダニズムの作曲家たちが国際現代音楽協会を興して互いに連携を取り合う中、「最後のロマン主義者」(リヒャルト・シュトラウスジャコモ・プッチーニハンス・プフィッツナーヨーゼフ・マルクスイルデブランド・ピツェッティら)が共同してそれに対抗しようとする動きは、まったく起こらなかった。またエドワード・エルガージャン・シベリウスセルゲイ・ラフマニノフらは、ほとんど第一線から退いていた。

一方で、19世紀末から20世紀前半に生まれた、より若い世代の中に、ロマン主義音楽の伝統に忠誠を誓おうとする作曲家が現れた。特にアメリカ合衆国の出身、あるいはアメリカ合衆国に亡命した作曲家にこの傾向が見られた。たとえば主な顔ぶれは、ハワード・ハンソンエーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトサミュエル・バーバーであった。その多くは早熟で、10代で作曲を始めており、長じてからもなお、昔からなじみのある音楽語法に忠実だった。コルンゴルトやバーバーに明らかなように、だからといって決して頑迷な保守主義者ではなく、同時代のモダニズムに知悉し、それを程よく取り入れてもいる。しかしながら完全に「新音楽」に切り替えるより、自分にとって自然と思われた音楽語法や作曲技法を成熟させることをよしとした。
社会主義リアリズムと新ロマン主義音楽

旧ソ連と、東欧におけるその衛星国では、スターリン体制以降、社会主義リアリズムが挙国一致のもとに推進された。社会主義リアリズムの音楽とは、共産党の指導の下に推奨された、大衆的で通俗的な性格の芸術音楽のことであり、手早く言うなら、19世紀後半の「分かりやすい」国民楽派の音楽様式に回帰することにほかならなかった。

19世紀のロマン主義音楽は、作曲家自身の主観が反映されているのに対し、社会主義リアリズムの音楽は、決まりきった枠組みが他者に決められた上で、情緒的に響くように指導されて作られたという点において、確かにこれも「新しい」ロマン主義であると言えた。しかし、かなり倒錯したロマン主義であったことも事実である。死の直前のプロコフィエフの「石の花」などはそれである。

ニコライ・ミャスコフスキーはソ連において社会主義リアリズムが公式に採用された1932年の直後にあたる1933年の「交響曲第13番」ではまだ近代音楽の様式に接近していたが、スターリン体制による社会主義リアリズムの推進が強まると、以前にも交響曲第6番で示していた「社会主義リアリズム」路線を強め、和声を保守化させていった。その中でも歌謡性を手放さず、西側が前衛一色になる中で、孤立した「新ロマン主義」音楽を書き続けた。

スターリンの死後に活動を開始したアルフレート・シュニトケは、初期にはマーラーやショスタコーヴィチ新ウィーン楽派に影響を受けつつ、無調表現主義音楽的な作風を追究したが、後に、政治的な強制に拠らずに、自発的にポピュラー音楽からの引用や、調的・旋法的な要素の回復へと乗り出した。このような様式は多様式主義(ポリスタイリズム)と呼ばれ、もはや社会主義リアリズムではなく音楽におけるポストモダンであり、後述の現代音楽における新ロマン主義の一環として扱われる[1]
現代音楽における「新ロマン主義」

戦後西側における前衛音楽の盛り上がりと活況の後、1960年代末のその停滞にともない、調性や伝統形式、明確な旋律要素の顕在化への回帰が試みられるようになる。当初、調性復活の背景にはミニマル・ミュージックの影響と、ベルント・アロイス・ツィンマーマンの諸作品やルチアーノ・ベリオの『シンフォニア』にみられるような引用技法やパロディとしての過去の音楽の利用があった[2]。こうした傾向も批評家達から「新ロマン主義」と呼ばれた[3]

その後は、伝統回帰が露骨な作曲家(コーネリアス・カーデュージョージ・ロックバーグデイヴィッド・デル・トレディチマイケル・トーキー別宮貞雄原博吉松隆)、伝統と現代性の折衷により近代音楽的様相を呈した作曲家(ジョージ・ベンジャミンマーク=アンソニー・タネジ武満徹)、民族音楽ポピュラー音楽・商業音楽を仲立ちとして和声と旋律を再発見した作曲家(ルチアーノ・ベリオマイケル・トーキー小鍛冶邦隆中川俊郎藤家渓子)といった相違が見られるうえ、作品またはジャンルごとに、伝統的な音楽語法と現代的な音楽語法を使い分ける作曲家も少なくない。

また長木誠司は、1970年代中庸には実際はかなり違う作風のポストモダンの傾向を持つ当時二十代の若手作曲家達に「新ロマン主義」「新調性派」「新しい単純性」などの共通のレッテルが貼られた、としている[3]
脚注^ 長木誠司編著『作曲の20世紀U』音楽之友社〈クラシック音楽の20世紀〉2、1993年、ISBN 978-4-276-12192-8 233頁。
^ 長木誠司編著『作曲の20世紀U』音楽之友社〈クラシック音楽の20世紀〉2、1993年、ISBN 978-4-276-12192-8 232頁。
^ a b 長木誠司編著『作曲の20世紀U』音楽之友社〈クラシック音楽の20世紀〉2、1993年、ISBN 978-4-276-12192-8 250頁。

参考文献

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