斯波義重
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注記^ 『尊卑分脈』・『新続古今集』・『斯波家譜』等による。
^ 二宮種氏・島田憲国・島田重憲・甲斐将教・由宇氏実・氏家将光の6騎。
^ このときの義重の装いは黒糸威に白覆輪の鎧と地紅直垂を着用し、黄金造の太刀を佩いて黒馬に騎乗していたとされる。
^ 分国支配の経験に富む義種に加賀を委ねる事が有利と見た義将の判断(『足利一門守護発展史の研究』)とも、義重の消極的な性格に由来する職務遂行能力の欠如(『室町期の斯波氏について』)とも解される。また、前月に義将が管領に復帰したこととの関連の可能性もある。
^ 後に信濃は小笠原長秀に交代する。
^ 応永8年に火事で伏見宮御所が焼失していたため。
^ 6代将軍となった足利義宣が同じく「義教」に改名したため、後代の人は義重の「義教」名義を憚り(『斯波家譜』)、「正三位義重(『新続古今集』)」や「故義重卿(『薩戒記』)」と、「義重」の名で記している。
^ 『斯波家譜』
^ 『室町期の斯波氏について』は改名時期を応永9年正月7日から15日の間と推定する。
^ 花押を行っていたのは義将であるとする説もある(『執事補任次第』「依為幼少、祖父法花寺代孫載判形」)。
^ 大内裏に設けられた修法道場。宮中真言院、修法院、曼荼羅道場とも呼ばれる。
^ 『満済准后日記』
^ 『即位調進物下行等(永仁・応安・永徳・応永)』
^ 『斯波義重の動向』(秋元信英)
^ 足利義教からとの説もあるが、時期及び立場からして義重(義教)からのものである可能性が高い。
^ 『信長公記』による織田氏の系譜において織田常竹の父とされる人物。
表
話
編
歴
室町幕府執事・管領
執事
高師直1336-1349
高師世1349
高師直1349-1351
仁木頼章1351-1358
細川清氏1358-1361
管領
斯波義将1362-1366
細川頼之1367-1379
斯波義将1379-1391
細川頼元1391-1393
斯波義将1393-1398
畠山基国1398-1405
斯波義重1405-1409
斯波義将1409
斯波義淳1409-1410
畠山満家1410-1412
細川満元1412-1421
畠山満家1421-1429
斯波義淳1429-1432
細川持之1432-1442
畠山持国1442-1445
細川勝元1445-1449
畠山持国1449-1452
細川勝元1452-1464
畠山政長1464-1467
斯波義廉1467-1477
細川勝元1468-1473
畠山政長1473
畠山政長1477-1486
細川政元1486
畠山政長1486-1487
細川政元1487
細川政元1490
細川政元1494-1507
細川澄之1507
細川澄元1507-1508
細川高国1508-1525
細川稙国1525
畠山義堯1526
細川晴元1536-1549
細川氏綱1552-1564
カテゴリ
表
話
編
歴
斯波氏第6代当主(1398年頃 - 1418年)
武衛家
家氏
宗家
宗氏
高経
義将
義重/義教
義淳
義郷
千代徳丸/義健
義敏
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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