断食
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キリスト教

福音書には、「しかし、このたぐいは、祈と断食とによらなければ、追い出すことはできない」[16]「イエスは公生活の前に40日間荒野で断食した(荒野の誘惑)」との記述がある[17]

キリスト教のいくつかの教派や教会において、上記の出来事にちなんで断食が行われる。

ラブリー・チャペル元牧師の八巻正治は福祉を専門とする牧師の立場から断食について次のように述べている。「社会福祉とは、単純に言えば『人びとの衣食住の必要を満たす』ための側面的援助的な働きであるといえます。むろん『衣食足りて礼節忘るる』では困りますが、人々の困窮を深く知るためにも、福祉実践者は自らに断食を課すことによって、そうした気持ちをつかむべき必要があるのです。主イエス様はまさにそうした意味において、人としての苦しみや悲しみを共に体験されたお方なのです。ですからわれわれも共にそれに倣う者でありたいものです。[18]
カリスマ系教会

より神に近づく探求のために実行される。週に1日か2日、定期的に実行される。ジョン・ウェスレーチャールズ・ウェスレージョージ・ホワイトフィールドが始めた、初期のメソジストのようなホーリネス運動では、健康法の一種として定期的な断食を行った。
正教会詳細は「大斎 (東方正教会)」を参照

大斎をはじめとして年に4回の断食(斎)の期間があり、暦の中で重要な位置づけにある。断食の期間は、肉、魚、オリーブ・オイルを筆頭に、すべての油、ワイン蒸留酒を断つ。一方、タコ貝類は禁止されてはいない。正教徒が多い地中海地域では、これらを使った料理が発達している。

断食は「耐えるもの」ではなく、「自分の不節制を認識し、他人へ施すことで神により近づくための経験である」という。断食によって節約したお金は、寄付の一環として貧しい者に与えられる。
ローマ・カトリック教会詳細は「大斎 (カトリック教会)」を参照

ローマ・カトリック教会四旬節で断食が行われる。1日の食事を十分な量(動物の肉を含む場合もある)を1回と少量を2回(朝食と夕食)にする。食事の間で固形物を食べるのは許されていない。また、小斎の期間は動物の肉を食べない。
プロテスタント教会

プロテスタント教では受難節と呼ばれており、イエスが40日間断食したことが期間の由来で、生活習慣(飲酒や肉を食べるなど)の1つを選び、それをやめることを基本としている。

一方、アメリカ合衆国にいるプロテスタント宗派(アングリカン・コミュニオンや統一メソジスト教会)は、2回の悔悟の季節、四旬節降臨節の一部として断食することを奨励している。
キリスト教系の新宗教
末日聖徒イエス・キリスト教会

末日聖徒イエス・キリスト教会(通称「モルモン教」)では、断食の間は食物と飲物(聖餐会で取るパンと水は除く)を完全に断つ[19]。通常は月の初めの日曜日が断食の日に設定されており、2食を断つことが推奨されている[19]。多くの信者は前日の土曜日の夕食から断食を開始する。断食によって節約された、お金は困っている人を助けるための断食献金として教会に寄付される[19][20]
イスラム教詳細は「ラマダーン」を参照

ヒジュラ暦9月であるラマダーンの間、ファジュル(暁の礼拝)から日没マグリブ)まで断食が行われる。その間、飲食、喫煙、性行為は禁止。ラマダーンはイスラム暦の月の1つであり、ムスリムは断食をとても重要な要素と見なしている。

断食することで、「アッラー(神)が命じたことを行い、逆に禁止されているものすべてから遠ざかることで、「タクワ」(「神を意識すること」)を増やす」「断食を行うムスリムは多くの罪から助けられ、ジャハンナム(地獄)から守られる」とされる。

なお、ラマダーンについては、「食べ物と飲み物を断つ」だけではなく、「嘘をつく、騙す、下品な話、口論、喧嘩、淫らな思考をしないこと」も含まれる。断食を行うことで、「貧乏で空腹な兄弟に対して連帯感を醸成する」とする。ラマダーンの月には寄付を行い、日没後に食事ができる。

ラマダーン(月)に断食することには、次のような3つの意味があると、東京都八王子市にあるモスクの関係者は以下のように説明している[21]
忍耐することを学ぶため[21]

忍耐強くなるため[21]

貧しくて食べることができない人々の苦しみを理解し、そうした人々のことに思いを至らせるため[21]

クルアーンに書かれている五行として行うため[21]

ラマダーンは、生活におけるバランスや節度を保つために役立っている[21]。クルアーンでは「ムハンマドは『胃(お腹)は1/3を食物で満たし、あとは呼吸などのためにとっておきなさい』『満腹まで食べるのは良くない、満腹の1/3程度に、節度を持って食べなさい』とムハンマドから指摘されている」という[21]

ラマダーンの月には、ムスリムは仕事も学校も早めに切り上げ、身体を休める。そして、レストランではなく、自宅や親族の家で一緒に食事を摂る[21]。ラマダーンの月の夕方には、全員家に帰るため、街には人っ子ひとりいなくなる[21]。「ラマダーン明けの食事(イド・アル=フィトル)をする時も、ラマダーンの素晴らしさを感じることをできる」という[21]

ラマダーンの月は、(貧しき人々に想いを向け)慈善を行う月でもある[21]。ムスリムにとっては信仰を深められる時間であり、ムスリムはこれを心待ちにしているという[21]。全世界のムスリムが同時にラマダーンを再開するので、それによって世界中のムスリムが一体感を味わえる時でもある[21]という。

なお、子供に対しては、年齢が低い間はラマダーンをやらせず、成長するにつれてラマダーンに参加させるようになる[21]

なお、ラマダーン以外にも自発的な断食がある。
ヒンドゥー教

個人個人の考えと地方の慣習に基づき、異なる種類の断食がある。

「エカダシ」(14日間周期の
月相の11日目)や、「プルニマ」(「満月の日」)のような特定の日に断食を行う。

個人の信念や信仰している神によって1週間の特定の日に断食を行う。

断食の方法はばらつきが大きい。厳密なものでは、前日の日没から翌日の日の出の48分後まで食物と水を断つ。それ以外では、「一日一食」を行ったり、「ある特定の食べ物のみを食べる」といったものがある。どの場合でも、断食期間中は卵を含めた動物性食品には、触れることすら許されない。
ジャイナ教

様々な断食の形がある。1つの形式は翌日の夜明けまで食べ物と飲み物を断つ。別の形式では食べ物を断ち、沸騰している水は飲んでもよい。そのほかに、食べ物の種類を制限する形式もある。味付けは塩とコショウのみにし、レンズマメと味気ない食べ物だけを食べる。

ジャイナ教の教えによれば、「断食によって欲望と情欲を抑えることでを取り除く助けになる」という。

また、断食により自発的に死に至るサンターラーという儀式がある。ジャイナ教においては、サンターラーは自殺ではなく、知識と意図を持って行う儀式の一つであり、長い時間をかけて人生を振り返る時間が与えられる。自分の人生が目的を果たしたと感じた場合、誓いを立てる。これの最終的な目的は、「肉体の浄化と、欲望を捨てること」である。
仏教断食する釈迦の像
上座部仏教

上座部仏教の僧侶は律(Vinaya)に従い、正午の食事以降は物を食べない。が、これは断食とは考えられてはおらず、むしろ瞑想を補助する修行の手段である。仏教において、「断食は苦行であり、中道から逸脱したもの」として拒絶されると一般的に考えられている。
大乗仏教

大乗仏教の僧侶は、経典上は食事に関しては制限されないが、肉食は避ける宗派がある。


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