料理の鉄人
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また挑戦当時22歳だった女性挑戦者の五十嵐美幸に対し、2対2のタイスコアに持ち込まれ、辛うじて得点差1点で勝利をあげたこともある(このとき、陳は「危ねえ、危ねえ」と薄氷の思いを連呼する一方で、挑戦者は「勝利にも等しい」と飛び上がって喜んでいた)。しかし経年の度に飛躍的に勝率を上げ、1994年11月から1996年1月にかけては全鉄人中最長連勝記録の19連勝(このとき同時に1995年には年間無敗記録も達成している[注 6])、そこから1勝2敗をはさみ1996年には12連勝を記録(いずれもレギュラー放送での記録)するなど「強い鉄人」の象徴となった。15連勝以上並びに複数回10連勝以上[注 7]、レギュラー放送での年間無敗記録(1995年)を達成したのは全鉄人中陳が唯一である。初期で勝率が振るわなかった理由は彼の温厚な性格と、テーマ食材が野菜の場合、無理矢理デザートを作っていた点による(この傾向は後述の中村孝明にも見られた)。初の女性挑戦者であった加賀田京子に負けたときも「かわいい人だなあ」と思いながら漫然と料理をしてしまった[4]と振り返っている。また、神田川俊郎戦では1日3本収録の最後ということもあり、審査員のことを考えさっぱりしたお粥を作ったが、全体としては希薄な印象になってしまった[5]が、ある時期より低迷の理由でもあった無理のあるデザート作りをきっぱりやめるなど研鑽を重ね、成績も向上した。番組終了後、回顧のインタビューでは番組への苦い思いを吐露したことがある。実際、番組開始3年目の頃には店が多忙なことに加え、実母の逝去が重なったことから本気で番組の降板を考えたが、坂井の説得で思いとどまった[6]。2023年3月11日に67歳で逝去[3]。番組全盛期の中心を担った三鉄人(陳・道場・坂井)の中では最も早く故人となった。鉄人として番組で長く共演した道場や坂井、主宰役として出演した鹿賀もコメントを発表し追悼した[7][8][9]

対戦成績(特別番組を除く)

放送日勝敗挑戦者テーマ食材審査員(太字は実況席のゲスト兼任)備考
1993.10.31○インドラゴリ・パウロ(伊)フグ景山民夫、石井苗子、平野雅章初の外国人挑戦者
1993.11.21●程 一彦(中)タコ秋元康、浅茅陽子、平野雅章挑戦者初勝利
1994.1.16○王 偉平(中)イカ秋元康、浅茅陽子、平野雅章
1994.2.6○谷口広一(和)エビ景山民夫、喜多嶋舞、平野雅章神田川軍団
1994.2.20●神田川俊郎(和)ヒラメ野村克也、喜多嶋舞、平野雅章
1994.3.6○近藤紳二(中)小麦粉景山民夫、石田ゆり子、平野雅章
1994.3.20●加賀田京子(仏)ホタテ神足裕司、石田ゆり子、岸朝子初の女性挑戦者
1994.4.15○高橋宗孝(和)タケノコ景山民夫、高田万由子、平野雅章
1994.5.6●山田宏巳(伊)キャベツ栗本慎一郎、高田万由子、平野雅章
1994.5.27○高橋 清(中)ニンジン秋元康、高田万由子、岸朝子
1994.6.24○宮本雅彦(仏)牛乳奥山和由、高田万由子、平野雅章
1994.7.1○田畑孝一(和)ナス山口敏夫、高田万由子、平野雅章
1994.7.22●ジョエル・ブリュアン&古高雅史(仏)スズキ栗本慎一郎、かとうかずこ、高田万由子、平野雅章道場とタッグマッチ
1994.8.19●小林カツ代(家)ジャガイモ栗本慎一郎、高田万由子、平野雅章
1994.9.2○大迫秀樹(伊)キノコ吉村作治、高田万由子、平野雅章
1994.9.30○斎藤隆士(中)芝エビ景山民夫、萬田久子、岸朝子
1994.10.28●小林幸司(伊)かぼちゃ栗本慎一郎、楠田枝里子、平野雅章
1994.11.11○杉田 忠(中)上海ガニ景山民夫、高田万由子、岸朝子
1994.12.2○中川俊一(中)麺景山民夫、高田万由子、岸朝子
1995.1.6○中川敏行(和)モチ栗本慎一郎、千堂あきほ、岸朝子
1995.1.20○追立久夫(中)ハクサイ景山民夫、南美希子、岸朝子
1995.2.3○ト部吉恵(和)大豆栗本慎一郎、高田万由子、岸朝子神田川軍団、5連勝達成
1995.2.17○橋本邦彦(和)里芋景山民夫、高田万由子、平野雅章
1995.3.10○島津哲俊(伊)ヤリイカ栗本慎一郎、かとうかずこ、岸朝子
1995.4.7○張 千代(中)豆腐景山民夫、小林幸子、岸朝子
1995.5.5○李 明淑(韓)レバー片岡鶴太郎、高田万由子、岸朝子
1995.5.19○エリオ・オルサーラ(伊)カジキマグロ景山民夫、島田陽子、岸朝子10連勝達成
1995.6.23○野田幸宏(伊)イワシ栗本慎一郎、三田寛子、中村橋之助、岸朝子
1995.7.21○黎 錦倫(中)ツバメの巣栗本慎一郎、尾上菊五郎、岸朝子
1995.8.04○平野寿将(和)ウニ西川治、楠田枝里子、岸朝子
1995.8.25○武政佳子(和)アサリ大島渚、高田万由子、岸朝子神田川軍団
1995.9.22○藤原次雄(中)ナマコ栗本慎一郎、東ちづる、岸朝子15連勝達成
1995.11.3○萩原雅彦(伊)手長エビ栗本慎一郎、かとうかずこ、高田万由子、岸朝子
1995.11.10○池川清隆(和)毛ガニ大島渚、若松親方、高田万由子、チャイラン
1995.12.1○宮本荘三(中)コイ栗本慎一郎、東ちづる、別所毅彦、岸朝子1995年年間無敗記録達成
1996.1.12○高 進益(中)干しアワビ大島渚、ジュディ・オング、栗本慎一郎、石井好子番組最多の19連勝達成
1996.1.26●山野辺宏(仏)カサゴ大島渚、東ちづる、片山右京、岸朝子20連勝ならず
1996.2.2○渡部洋二(和)スッポン栗本慎一郎、高田万由子、高橋英樹、岸朝子
1996.2.23●中沢隆弥(中)シイタケ景山民夫、ジュディ・オング、片岡鶴太郎、岸朝子
1996.3.8○吉田辰次郎(和)タラ大島渚、東ちづる、ばんばひろふみ、岸朝子
1996.3.29○森 克明(伊)ホウレンソウ景山民夫、三田寛子、吉村作治、岸朝子
1996.4.26○何 業文(中)レタス景山民夫、高田万由子、財津一郎、岸朝子
1996.5.10○森川俊二(タイ)パイナップル景山民夫、松本伊代、デーブ大久保、岸朝子
1996.5.31○後藤市雄(伊)アオリイカ栗本慎一郎、高田万由子、江本孟紀、岸朝子2度目の5連勝達成
1996.7.5○野村孝之(和)アユ栗本慎一郎、桃井かおり、片岡鶴太郎、岸朝子
1996.8.2○山本 猛(中)黒豚加納典明、高樹沙耶、三田村邦彦、岸朝子
1996.8.16○津川利蔵(寿司)アナゴ景山民夫、中嶋朋子、谷沢健一、岸朝子
1996.8.30○島田紳助(和)大正エビ景山民夫、斉藤慶子、財津一郎、岸朝子
1996.10.4○柏原剛雄(和)冬瓜景山民夫、かとうかずこ、高橋英樹、岸朝子2度目の10連勝達成
1996.11.1○ダニエラ・オージック(伊)きのこ栗本慎一郎、大石恵、三田村邦彦、石井好子
1996.12.6○石崎幸雄(伊)ニンニク江本孟紀、かとうかずこ、神田正輝、岸朝子
1997.1.17●道筆 博(中)干し貝柱江本孟紀、財津一郎、大石恵、岸朝子
1997.2.14○黄 宝康(中)米加納典明、斉藤慶子、布施明、岸朝子
1997.3.14●脇屋友詞(中)パパイヤ景山民夫、東ちづる、里見浩太朗、岸朝子リターンマッチ
1997.4.25○おおつきちひろ(西)トマト加納典明、田中美奈子、片岡鶴太郎、岸朝子
1997.5.23○高木政雄(中)ピータン加納典明、純名里沙、山本譲二、チャイラン
1997.6.27●周 権中(中)アカハタ加納典明、高樹沙耶、チャイラン、岸朝子香港返還記念試合
1997.7.18○松野義一(寿司)シャコ栗本慎一郎、岸本加世子、財津一郎、岸朝子
1997.8.15○川口宗清尼(和)[注 8]ナス加納典明、井上晴美、里見浩太朗、岸朝子
1997.9.26○五十嵐美幸(中)キュウリ栗本慎一郎、遠山景織子、名高達男、岸朝子
1997.10.17○長坂松夫(中)スペアリブ栗本慎一郎、斉藤慶子、石原良純、岸朝子
1997.11.21○松島 徹(中)上海ガニ栗本慎一郎、秋野暢子、高橋英樹、岸朝子3度目の5連勝達成
1998.1.9○井上明彦(和)荒巻鮭栗本慎一郎、野村沙知代、野村克也、岸朝子
1998.1.30○唐 朝輝(中)ブラックタイガー景山民夫、大石恵、石原良純、チャイラン
1998.4.17●原田充郎(和)サワラ加藤和彦、東ちづる、堀内孝雄、岸朝子
1998.4.24○島村 隆(和)平貝加納典明、斉藤慶子、石原良純、岸朝子
1998.5.22△梁 樹卿(中)豚バラ栗本慎一郎、斉藤慶子、石原良純、細木数子
1998.5.29●コンニャク延長戦
1998.6.19○ケンタロウ(家)[注 9]新ジャガ加納典明、小林幸子、石田純一、岸朝子
1998.7.17○伊東淳一(仏)ヨーグルト栗本慎一郎、秋野暢子、あおい輝彦、石井好子岸朝子推薦チャレンジャー
1998.8.21○宮澤 薫(中)コイ加納典明、菊池麻衣子、北大路欣也、岸朝子
1998.9.18○丸山日出樹(伊)イワシ加納典明、斉藤慶子、西郷輝彦、細木数子
1998.10.16○加賀田京子(仏)仔牛加納典明、岸本加世子、コーン、岸朝子逆リターンマッチ、4度目の5連勝達成
1998.11.13○八木沼久男(中)チンゲンサイ加納典明、鳩山幸、鳩山由紀夫、細木数子聘珍樓軍団
1998.12.18○菅沼美都雄(中)フカヒレ栗本慎一郎、秋野暢子、チャイラン、細木数子聘珍樓軍団
1999.1.8●謝 華顕(中)伊勢エビ加納典明、萬田久子、佐々木主浩、細木数子聘珍樓軍団
1999.2.26○浅尾良三(仏)チョウザメ栗本慎一郎、中丸三千繪、岡田眞澄、岸朝子
1999.4.2●崔 玉芬(中)白菜栗本慎一郎、岸本加世子、谷村新司、岸朝子
1999.5.7●大久保武志(中)モヤシ栗本慎一郎、雛形あきこ、堀内孝雄、石井好子
1999.5.21○スパノ・ステルビオ(伊)乳飲み豚栗本慎一郎、東ちづる、高橋英樹、岸朝子主宰ボイコット試合
神田正輝推薦チャレンジャー
1999.7.9○舘野雄二(和)ウニ斉藤慶子、石原良純、ニーナ・ザガット、ティム・ザガット道場六三郎推薦チャレンジャー
ザガット・サーベイ認定試合
1999.7.30△ドミニク・コルビ(仏)フォアグラ加納典明、浅野ゆう子、福留功男、細木数子300人目の挑戦者
1999.8.6△アスパラガス延長戦 判定 両者同点勝利

フレンチの鉄人
 初代:
石鍋裕(いしなべ ゆたか)
鉄人在任期間…1993年10月 - 1994年1月対戦成績…8戦7勝1敗 連勝記録4 通算勝率87.5%(現役時代の勝率は80.0%)西麻布「クイーンアリス迎賓館」オーナーシェフ。1970年代に日本におけるフランス料理界の発展を図ることを目的に当時の新進気鋭の料理人達の手で結成された「クラブ・デトラント」のメンバーである。番組では「フランス料理界のヴィスコンティ」と称されている。コスチューム(コックコート)カラーは緑、登場時は手にパプリカを持つ。記念すべき第1回の対決に登場した鉄人でもあるが、経営者としても多忙を極めていた(皇室御用達になった)ため出演の時間に事欠き、結局は「店の経営と両立出来ない」さらに「1回負けてしまった」(その際の対戦相手はジャック・ボリー)という理由で、実戦わずか5回で引退した。対戦回数が少な過ぎるため、他の鉄人との単純な比較はできないが、通算勝率87.5%は鉄人中最高となっている(ただし引退後の1戦はチーム戦であり、しかも判定は同点であったが鹿賀の独断で勝利とされたもので、実質的な対戦成績は8戦6勝1敗1分、通算勝率は75.0%になる)。引退後は番組初の「名誉鉄人」の座についた。選出当初から多忙であったため、一度は出演を断ったが、「3か月だけでも」という番組スタッフの説得に応じて鉄人として番組に出演し、その通り開始3か月で降板した。引退後2度、挑戦者からの指名で復帰し、いずれも勝利している。

対戦成績(特別番組を除く)

放送日勝敗挑戦者テーマ食材審査員備考
1993.10.10○丸山 剛(中)鮭景山民夫、石井苗子、平野雅章レギュラー放送初試合
1993.11.7○工藤敏之(仏)豆腐景山民夫、井上絵美、平野雅章坂井宏行の部下
1993.11.28○武藤正人(和)ダイコン秋元康、浅茅陽子、平野雅章
1993.12.12○大山栄蔵(パティ)バナナ秋元康、今田美奈子、岸朝子デザート対決
1993.12.19●ジャック・ボリー(仏)チキン田中康夫喜多嶋舞、平野雅章クリスマス対決
1995.4.14○澤口知之(伊)カレイ栗本慎一郎、高田万由子、岸朝子復帰戦1
1995.6.30○釜谷孝義(仏)アボカド栗本慎一郎、東ちづる、岸朝子復帰戦2
クラブ・ミストラル

 二代目: 坂井宏行(さかい ひろゆき)
鉄人在任期間…1994年2月 - 2002年1月対戦成績…87戦70勝16敗1分 連勝記録8(3回達成)[注 10] 勝率80.4%渋谷「ラ・ロシェル」オーナーシェフ。石鍋とは旧知の間柄で、石鍋と同じく「クラブ・デトラント」のメンバー。番組では「フランス料理界のドラクロワ」と称されている。コスチューム(コックコート)カラーは赤、登場時は手に洋梨を持つ。鉄人デビューは1994年2月。KIHACHIの熊谷喜八シェフの推薦によって出演することになる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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