斎藤利三
利三は、堺の豪商・津田宗及等と茶の湯を嗜むなど、高い教養を兼ね備えていたとされる[8]。
徳川家光の乳母・春日局は、利三の娘である。また、利三の妹は、永禄6年に長宗我部元親の妻となり、嫡子・長宗我部信親など九人の子供を出産している[8]。
本能寺の変にて二条新御所で義弟であり同じ美濃斎藤氏の斎藤利治と戦っている。[9][10]。利治は病で加治田城において静養していると考えていたようであるが、二条新御所において防戦をしているのを確認し、降伏勧告をしたとされるが、利治は死を選んだ。
2014年6月、林原美術館(岡山市)所蔵の「石谷家文書」を林原美術館と岡山県立博物館が共同研究したところ、長宗我部元親と利三がやりとりした書状が見つかったと発表した[11]。書状で元親は四国侵攻を計画していた信長の命令に従う意向を示しており、岡山県立博物館の内池英樹主幹は「本能寺の変直前のやりとりが史料で初めて明らかになった。本能寺の変に影響を与えた可能性がある」と話している[12]。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 『寛政重修諸家譜』では豊後守利忠、『美濃国諸家系譜』では斎藤利賢とされる
^ 蜷川親俊の子
^ 『明智軍記』では「としかず」とのルビのある箇所がある。
^ 『寛政重修諸家譜』では豊後守利忠、『美濃国諸家系譜』では斎藤利賢とされる
出典^ a b 桐野 2020, p. 98.
^ 桐野 2020, p. 101.
^ 桐野 2020, p. 108.
^ 宮本義己「絶頂期への軌跡?天下の面目をほどこし候?」『俊英 明智光秀』〈『歴史群像シリーズ』【戦国】セレクション〉、2002年。
^ 桐野 2020, p. 120.
^ a b c 桐野 2020, p. 211.
^ a b 桐野 2020, p. 212.
^ a b 風間洋「明智光秀関係人名事典」 二木謙一編『明智光秀のすべて』新人物往来社、1994年。
^ 富加町史編集委員会 編『富加町史』 下、富加町、1980年、232頁。
^ 太田牛一 『信長公記』 巻十五 「中将信忠卿、二条にて歴々御生害の事」
^ “林原美術館所蔵の古文書研究における新知見について ―本能寺の変・四国説と関連する書簡を含むー”. 株式会社 林原 (2014年6月23日). 2022年8月12日閲覧。
^ “本能寺の変・四国説後押しの新資料 - 林原美術館などが発見”. マイナビ. (2014年6月26日). https://news.mynavi.jp/techplus/article/20140626-a237/ 2015年7月5日閲覧。
参考文献
書籍
宮本義己「絶頂期への軌跡?天下の面目をほどこし候?」『俊英 明智光秀』〈歴史群像シリーズ 【戦国】セレクション〉2002年。
桐野作人『明智光秀と斎藤利三?本能寺の変の鍵を握る二人の武将―』宝島社、2020年。
史料
『川角太閤記』
『寛政重修諸家譜』
『備前老人物語』
『明智軍記』
『翁草』
斎藤利三を演じた人物
亀石征一郎 - NHK大河ドラマ『国盗り物語』
江守徹 - NHK大河ドラマ『春日局』
上條恒彦 - NHK大河ドラマ『秀吉』
小木茂光 - NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』
津田寛治 - テレビ朝日『古舘トーキングヒストリー ?戦国最大のミステリー 本能寺の変、完全実況?』
須賀貴匡 - NHK大河ドラマ『麒麟がくる』
勝村政信 - 映画『首』
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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