斉藤鉄夫
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1999年小渕第2次改造内閣第1次森内閣科学技術総括政務次官に就任。2000年、公明党市民活動委員長。2004年、衆議院文部科学委員長、2005年、同再任。2006年、公明党政務調査会長。

2008年8月、福田康夫改造内閣環境大臣に任命され、初入閣を果たした。続く麻生内閣でも再任され、2009年9月まで務める。環境大臣退任に伴い、公明党政務調査会長に就任。2010年10月、公明党幹事長代行、公明党税制調査会会長に就任した。2013年、公明党選挙対策委員長兼務。 2018年10月2日、公明党幹事長。
衆院選広島3区へ

2020年6月18日、前年の参院選広島県選挙区をめぐり、同選挙区参議院議員の河井案里と、案里の夫で広島3区衆議院議員の河井克行が買収の疑いで逮捕される(河井夫妻選挙違反事件[11][12]。9月27日、公明党全国大会が開かれ、斉藤は党副代表に就任した[13]。また、総合選対本部長に就いた。11月12日、自民党広島県連は、広島3区への候補擁立を模索している公明党を牽制する形で、次期衆院選に向け、同選挙区の候補者を公募で選ぶことを決定した[14]。11月19日に斉藤は広島市で記者会見し、次期衆院選に広島3区から出馬すると正式表明した[15]

2021年1月21日、東京地裁は河井案里に対し、懲役1年4か月、執行猶予5年の判決を言い渡した[16]。1月25日、自民党広島県連会長の宮澤洋一二階俊博幹事長、山口泰明選挙対策委員長と党本部で会談。宮澤は広島県議会議員の石橋林太郎を広島3区候補者として推すが、党本部は斉藤を支援する方向で調整しており、石橋を同区の支部長に内定するという形で収まった[17]。2月2日、自民党の山口泰明選挙対策委員長と公明党の西田実仁選対委員長は国会内で会談。広島3区の候補者を斉藤に一本化することで合意した。これにより自民党広島3区支部長に内定していた石橋は候補者から脱落し[18]、比例中国ブロックに移ることが決まった[19]。10月4日、第1次岸田内閣において国土交通大臣水循環政策担当大臣に任命された。同年10月31日投開票の第49回衆議院議員総選挙において比例中国ブロックから鞍替えし広島3区から公明党公認・自民党推薦で立候補。立憲民主党の新人ら5名を破り、当選した[20]。同年11月10日、第2次岸田内閣において国土交通大臣、水循環政策担当大臣に再任。

2022年8月10日、第2次岸田第1次改造内閣において国土交通大臣、水循環政策担当大臣に留任。併せて国際園芸博覧会担当大臣にも任命された。
不祥事

2022年11月25日に斉藤鉄夫後援会が、公明党衆議院小選挙区広島3区総支部から受け取った賃料90万4200円を政治資金収支報告書に記載していないことがわかった。
現在の役職

国土交通大臣

水循環政策担当大臣

国際園芸博覧会担当大臣

公明党

副代表

総合選挙対策本部長

憲法調査会顧問

税制調査会顧問

広島県本部顧問

衆議院

財務金融委員会委員

憲法審査会委員

人物・主張2012年6月、歴代環境大臣小池百合子小沢鋭仁江田五月環境副大臣横光克彦

温厚な性格で知られる[21]鉄道ファン。好きな路線は中学・高校時代に通学に利用していた芸備線で、ちどりと記された行先標を執務室の机に入れていた[22]

北総鉄道運賃が高いことから沿線の家賃が安くなっていることに目をつけ、会社員時代北総鉄道沿線に住んでいた。その際、ダイヤの無駄を発見し論文にして会社に提案したところ受け入れられ、急行が走るようになったという[23]

国会議員になる以前は、清水建設で放射線の遮蔽設計に携わっていた。初めての仕事は、1974年放射線漏れを起こした原子力船むつの改修設計であった。

清水建設在職中は宇宙開発室にも所属しており宇宙構造物の研究にも携わっていた。そのため、国会議員の中でも有数の宇宙開発の専門家である。

科学者を志したきっかけについて「私が生まれ育った島根県羽須美村はじつに星空の美しい所である。少年時代、夜空に満天の星を眺めながら、『いつの日か自分も宇宙に行きたい』と思うようになり科学を志すきっかけともなった」とメールマガジン『永田町からEメール』の中で書いている。

羽須美村にはかつて三江線が通っており(2018年廃線)、自宅にあった時刻表を見ると「東京や大阪につながる寝台特急に乗った気分になれた」ことから、現在も時刻表を毎月購入して息抜き代わりに読んだり、出張時に見える駅やすれ違い列車に思いをはせたりしており、時刻表検定5級をとったことがある。国交相の職務の一つであるローカル鉄道の存廃問題でも「人々の気持ちに配慮しないといけない」を持論としている[24]

日本国憲法については加憲の立場である。2002年衆議院憲法調査会では「人類の知への貢献ということも憲法の中に入れるべきなのではないか」と述べた[25]。2016年3月29日、運動団体「日本会議」が主導し、その関連団体である「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が主催する憲法改正派の集会に参加し、憲法改正について「1回目の国民投票は必ず実現させる」などと述べた[26]

1999年東海村JCO臨界事故直後、科学技術総括政務次官に指名された斉藤は政府現地対策本部長を務めている。事故後「原子力災害対策特別措置法」の制定や「原子炉等規正法」に「安全確保改善提案制度(内部告発制度)」を加える改正作業にも従事している。

2003年消費者金融業界の政治団体「全国貸金業政治連盟」(全政連)からパーティー券購入により4万円の資金提供を受けた[27]

2007年防衛大臣久間章生「原爆投下はしょうがない」発言を強く非難した。なお斉藤は広島県広島市に居住する広島県民で、かつては広島市を含む旧広島1区が選挙区であった。

亀井静香は高校の先輩にあたる(ただし、亀井は修道高校を中途退学して東京都立大泉高等学校に編入したため、卒業はしていない)。

原子力発電については、2009年時点では推進派であった[28]

2009年には 地球温暖化問題について、環境相時代には温室ガス25%削減に言及、「いまの世代が努力を怠れば、子や孫にツケを回すことになる」と高い目標を選ぶことに理解を求めた。ただ、国内削減分だけで25%以上減らすのは「非現実的だと言われる、正直それを認めざるを得ない」とし、政府の世論調査で「7%減」の回答が多かったことにも配慮を示した。その上で「15%減」達成に必要な太陽光発電やエコカーの導入量が、政府の経済対策で示された導入量とほぼ一致するとして、「実行可能」と述べた[29]


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