日本語の広い意味での文語体には以下のような文体がある。
漢文
本来は中国語を表記したもの。古来、文字を持たなかった日本で最初に漢字を導入した際においては、日本語を文章に書くという概念が存在せず、漢字とともに漢文がそのまま導入された。後に訓読とよばれる方法によって日本語として読むようになった。また、日本語を漢文風に漢字だけで書いた「変体漢文体」も使われた。
漢文訓読体(漢文直訳体)
漢文を訓読により仮名交じりで書き下したもの、または初めからこの形で書いた文体。和文体よりも単純・定型的。公文書や詩などに用いた。奈良時代からのものであるが、19世紀においても一般的な論説はこの文体で書かれた。第二次世界大戦前に制定された法律の文体もこれに近い。
宣命体
主に奈良時代に日本語の宣命(詔)を漢字で書き表したもの。助詞や語尾など(後の送り仮名に相当する部分)は 万葉仮名により小さい漢字で書いた。万葉仮名を仮名に置き換えれば、後の漢字・仮名交じり文に近い。その後は祝詞に宣命書きとして用いられ、神道において現代も使われる。
和文体
平安時代中期の口語に基づく文体。当時の清少納言や紫式部の作品が代表的。中世以降書記言語として用いたものを特に擬古文と呼び、賀茂真淵、村田春海、加藤千蔭、本居宣長、石川雅望、藤井高尚、清水浜臣など江戸時代の国学者が著したものが代表的である[4]。現在でも古文教育で主に取り上げられ、短歌・俳句などでよく使われる。詳しくは中古日本語を参照。
和漢混交体
漢文訓読体と和文体を交えた文体。漢文が漢語、和文が大和言葉のみを用いるのに対し、漢語と大和言葉が併用されている。宣命体にはじまる漢字・仮名交じり文の完成形。『平家物語』などの軍記物が代表的。
候文
文末に丁寧の助動詞「候(さうらふ)」を使う文体で、鎌倉時代以降用いられた。江戸時代には、公文書や商用文書などの他、私文書[注 4]でも用いられ、社会活動上で書面を用いる場合の標準文体であった。口語文における「です・ます体」のようなものとも考えられ、書簡を中心に明治・大正・昭和初期まで使われた[注 5]。
普通文