文禄・慶長の役
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注釈[脚注の使い方]^ 1709年の初筆を1760年に模写したもの。
^ ただし晋州城攻略は実施した。
^ a b c 毛利家文書では七番隊とされる。しかし、松浦古事記等には六番隊と同じグループに書かれており、毛利輝元は実際には六番隊と行動を共にしていた。徳富蘇峰等も先駆衆を六軍とする。
^ a b c 毛利家文書では八番隊とされる。松浦古事記には隊に番号が付けられておらず、朝鮮国都表出勢衆を3つのグループに分けていた。
^ a b c 毛利家文書には書かれてない諸部隊。松浦古事記による。
^ 「完訳フロイス日本史5 豊臣秀吉篇II」より、ルイス・フロイスらが「百方手を尽くして」情報収集した結果、「もっとも信頼でき、かつ正確」だと判断した数字。死因については「敵によって殺された者はわずかであり、大部分の者は、まったく、労苦、飢餓、寒気、および疾病によって死亡したのである」と記している。
^ a b c d ウィキソース(中国語).mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}自倭亂朝鮮七載,喪師數十萬,糜餉數百萬,中朝與屬國迄無勝算,至關白死而禍始息。—『明史・朝鮮伝(漢文)』
^ 朝鮮の人口推移:1392年(554万人)、1522年(1061万人)、1591年(1409万人)、1637年(1063万人)、1822年(1621万人)、1910年(1742万人)。Estimated data are from Kwon and Sin, "Choson." Composite recorded data are from the Hogu ch'ongsu (1789); Choson Wangjo Sillok entries and T'akchiji entries are from the Seoul National University edition of the Hogu ch'ongsu; records from 1864 to 1924 are from Zensho, Chosen. The Journal of Economic History, Vol. 68, No. 1 (Mar., 2008), pp. 244-282
^ ルイス・フロイスは朝鮮人の被害について、日本のものと比べ次のように記している。『朝鮮人の死者については知り得なかったが、死者と捕虜を含め、その数は日本人のそれとは比較にならぬほど膨大であった。なぜならば、都その他の地方に連れて行かれた者を除き、この下(しも)にいる捕虜の数は、数えきれぬほど多いからである。』完訳フロイス日本史5 第44章より。
^ 19世紀末の歴史家であるジョージ・H・ジョーンズ(英語版)によって推定された軍人と民間人の犠牲者は100万人である。合計10万人以上の日本側の死者数と仮定すると、朝鮮・明側の死者数は90万人と推定できる
^ a b 日本・中国(明)の元号や朝鮮の帝王紀年(英語版)。
^ 出典にある明と朝鮮の暦の日付は+1日多いので注意。
^ a b 朝日新聞2006年6月28日夕刊文化面「『倭乱』と東アジア 韓国の国際シンポから 上」より。スオープ准教授(中国軍事史)は「日本と朝鮮の間の戦争だとの見方はやめるべきだ」として「明(中国)を中心とした東アジアの支配体制・秩序への秀吉の挑戦。これは日本と中国の戦争だ。秀吉軍の侵攻直前に明で内乱が起きたため、明はすぐに兵を送ることができなかったが、朝鮮の要請ではなく、自分の利益のために参戦した」と述べた。また「『明軍は弱い』というイメージは明を倒した清により作られたもので、当時は武器も優秀で精強だった。一方の秀吉軍は戦乱で鍛え上げられた世界最強の軍団。両者の激突は16世紀世界最大の戦争だった」とも述べている。
^ ここでの高麗はコリアと同じ意味。
^ 後述する素行の朝鮮属国説も参照(動機に関する諸説
^ 出兵とすると「秀吉の朝鮮侵略戦争」(世界史用語集、山川出版社)などとの説明が必要になるため、征伐が避けられるのとは逆の理由で回避される。ただ、これはかなり最近の話で、朝鮮出兵はまだかなり用いられている。
^ 教科書の用語ではこの名称は使われていないが、日本史リブレットなどの副読本には登場。
^ 日本語読み:じんしんわらん、朝鮮語読み:イムジンウェラン(????)。
^ 日本語読み:ていゆうわらん、朝鮮語読み:チョンユウェラン(????)。
^ 日本語読み:ていゆうさいらん、朝鮮語読み:チョンユヂェラン(????)。
^ 日本語読み:じんしんそこくせんそう、朝鮮語読み:イムジンチョグクチョンジェン(??????)
^ 後述するが、『懲録』によると景轍玄蘇も朝鮮との交渉において言及した。ただし徳富蘇峰は『近世日本国民史』では売言葉に買言葉で玄蘇の本音ではないと寸評している[32][33][34]
^ これらは『高麗史』や『成宗実録』の記述に基づくものである。
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