文民
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このような行動は戦闘員による戦闘やゲリラ的暴動と同時並行して発生することがあるが、多くの場合、抵抗運動を行う文民はそうした明確な軍事組織や軍事行動と一線を画している[24]
国際人道法による文民の保護

国際人道法に属する諸条約では、調印国に国家間の戦争時における文民の保護を強制している。調印していない国であっても、この国際法に従う必要があるというのが慣例的な認識である[25]。また国際人道法では、distinction、比例原則緊急避難の原則が戦闘時の文民保護と結びついている[25]。しかし国際連合は文民保護のために軍事組織を配置しているにもかかわらず、その運用における公式な方針を定めていない[26]。国連安全保障理事会報告書4では、戦闘時の文民保護がさらなる文民保護の必要性の証拠をもたらすとしている。国連は文民の安全が大規模に脅かされることは国際的な平和と安定に対する脅威となることを認識しており、文民保護と地域的安定化の手段を構築しようとしている[27]。2008年に最初に発表された安全保障理事会報告書4があるにもかかわらず、国連は各地域の諸国が地域内の戦争・内戦を調停し文民を保護するよう求めている(アフリカにおける紛争をアフリカ連合が取り締まるように)。国連事務総長コフィー・アナンは国連の諸国に対し、「人類の安全を約束し、平和と安全が不可分とみなす」認識を共有することを通して、アフリカの文民を守ることが各国の利益になるのだと説いた[28]

国際連合安全保障理事会は、数々の決議 (1265、1296、1502、1674、1738)や議長声明を通じて、以下の事項に触れている。

国際人権法や関連する人権法の順守、人道への侵害についての説明責任の存在。

平和維持活動をはじめとする任務における国連の役割。

特定集団の保護。

小規模な軍隊の影響力。

地域間の協力。

安全保障理事会は5つの方法を通して文民保護に携わっている。

一般的な規準、特に国際人権法の水準を底上げする。

第8章に基づく強制力により、国連平和維持軍、各地域の組織、国連加盟国のグループに、その軍事力を文民保護を含む方策に用いさせる。

第5、6、8章に基づき、紛争を起こしている勢力を監視し保護活動を行わせることができる。

第6章に基づき、対立組織間の仲裁などを通して武力衝突の勃発を阻止あるいは最低限にとどめる。

理事会は、特定の対象に圧力を加え国際人権法違反の責任がある組織を抑え、審議会を設置し、特別な裁定機関に権限を与えたり国際刑事裁判所 (ICC)に問題を持ち込んだりすることができる[29]

議長声明や事前の小委員会での議論に応じて、国連安全保障理事会は2009年1月に国際人権法に基づく文民保護に関する会議を行った[29]。この会議では明確な結論が出なかったものの、1999年に通過した決議1265以降の安全保障理事会の評価が実施された[29]

国際連合の協定に加え、各地域内でも文民保護に関する取り決めが生まれている。例えばアフリカ連合設立法第4条(h)は、文民の保護と「加盟国における『重大な状況』、すなわち戦争犯罪ジェノサイド人道に対する罪に対し、連合は強制力を持った介入を行う権利を持つ」ことを定めている[30]。これはアフリカ連合が連合内における残虐行為によって立つことを否定したものである。2004年に平和安全理事のSaid Djinnitは「アフリカ人は……大陸で起きている悲劇を傍観し、それが国際連合やその他の者の責任であるということは出来ない。我々は非介入主義から非無関心主義に移行したのだ。我々は、アフリカ人として、我らの人々の悲劇に無関心であり続けることは出来ない。」[31] (IRIN News 2004)と述べている。ただ第4条(h)は実際に発動されたことが無く、本当にアフリカ連合に「重大な状況」へ介入する意思があるのか疑義が呈されている[32]

国際連合やアフリカ連合、その他の主導的な組織であるか否かにかかわらず、「国際組織には、文民保護などの込み入った安全保障上の役回りを負うと、一般的に、高い水準の戦力、全面的なプロフェッショナリズム、そして長期的に対峙し続ける忍耐力によって支えられた、包括的な政治要素としての大規模な平和維持作戦でさえ実現できないような不相応な期待が地元民の間で高まるリスクが明白に存在している。アフリカやいたるところで見られる残念な結果は、分権化政策が履行されてきた道のりに対するいくらかの批判をもたらしてきた(MacFarlane and Weiss 1992; Berman 1998; Boulden 2003)。」[33]
日本における文民の意味
内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。

-日本国憲法第66条2項

日本国憲法66条2項にいう「文民」とは、1973年の政府見解では、次に掲げる者以外の者をいう[34]
旧陸海軍(大日本帝国陸軍及び大日本帝国海軍)の職業軍人の経歴を有する者であって、軍国主義的思想に深く染まっていると考えられる者。

自衛官陸上自衛官海上自衛官航空自衛官)の職に在る者。

なお、当時の政府見解では、軍国主義思想とは、「一国の政治、経済、法律、教育などの組織を戦争のために準備し、戦争をもって国家威力の発現と考え、そのため、政治、経済、外交、文化などの面を軍事に従属させる思想をいう」と定義づけている[35]

第二次世界大戦までは軍人が内閣総理大臣を務めることが多数あり、その反省から現行の日本国憲法第66条第2項には「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」と規定されている。

一般的な「文民」は、「一般市民」、「文官(一般公務員警察官を含む)」、「戦闘員ではなく国際法上交戦権を持たない者」のニュアンスを持ち、「軍隊(現在の日本においては防衛省自衛隊陸上自衛隊海上自衛隊航空自衛隊)の中に職業上の地位を占めていない者、もしくは席を有しない者」を指すと考えられる。

日本での文脈でいう「文民統制」とは、「軍人以外の人間」、具体的には「一般市民の代表である政治家」を指しており、軍務文官である「防衛省の官僚(通称「背広組」)」は、自衛隊法上の自衛隊員であり、国家公務員法第2条第3項第16号の規定に基づいて特別職の国家公務員とされている[36]

なお、過去の日本において「文民」と言う場合に「旧職業軍人の経歴を有しない者」と規定するか、あるいは、「旧職業軍人の経歴を有する者であって軍国主義的思想に深く染まっている者でない者」とするか、については、意見が分かれていた時代もある(1965年昭和40年)5月31日衆議院予算委員会 高辻正己内閣法制局長官答弁など)。

野村吉三郎(元海軍大将、太平洋戦争開戦時の駐米大使)の入閣が検討された際に、「文民」規定の問題から断念している。ポツダム宣言受諾時にすでに職業軍人であり、その後自衛隊に入隊した永野茂門法務大臣に就任した時、元自衛官の中谷元森本敏が防衛閣僚(防衛庁長官・防衛大臣)となった時にも問題視する意見が出た。ただしこの見解は国際的な基準があるわけではなく、例えば米国国防長官も文民であることが条件であるが、アメリカ軍の職業軍人も退役してから10か年が経過すると文民として扱われる。また、イギリスでは、文民かつ政治家(=国会議員、主に庶民院議員)であることを要する。野田第2次改造内閣野田第3次改造内閣で防衛大臣を務めた森本敏については非国会議員の民間人閣僚であったため、「むしろ国会議員の地位をもたない者が防衛大臣に就任することは、文民統制の理念に反するのではないか」との指摘が出た[37]

日本において、文民統制とは、軍事的組織構成員には発言権がないこと、と一般的に理解されているが、自衛隊は「軍」ではないとの建前から政軍関係に関する議論が乏しく[38]、実態は、軍事的組織の予算、人事、そして行動につき、その「最終的な」命令権が、軍事的組織そのものにはなく政府議会にあることが制度的に保障されている状態をいう、との理解にとどまっている。このため、現に防衛政策の形成と決定に際し、軍事の中枢たる統合幕僚監部及び陸海空幕僚監部が、防衛省内局と共に大きな役割を担っている。しかしながら、文民統制の観点からは、軍の役割・任務など、防衛政策の基本的問題は、立法府国会)を中心とした開かれた国民的議論により、判断・決定されなければならない[39]


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