黄金期である1960年代から1980年代にかけては、「文壇バー」は、文壇人たちにとっての情報交換、意見交換、ビジネス獲得の場所として機能していた。また作家たちの連帯意識を高めるソサエティとしての役割を果たしていた。
(作家による記述例)銀座は、(作家たちにとって)自分以外の世界の人にふれあい、交流のきっかけを得る場所でもあったのだ。(中略) 仕事の打ち合せ、仲間同士の付き合いは、皆銀座で行われた。新しい仕事の打ち合せ、長い連載の仕事が終わっての打ち上げ会などの場合、銀座の料理屋、レストランで食事をし、酒場(文壇バー)に移るのが、ごく普通の形であった。 ? 峯島正行、『さらば銀座文壇酒場』このメンバーの顔触れを見てもお分かりのように、みんな一匹狼ばかりであって、芸術院会員になろうと先輩文士にゴマをすったり、ゴルフにうつつを抜かすような人間はいない ? 梶山季之、雑誌『噂』(1973年8月号)作家ほど純粋に生きている奴はいないのだ。女に惚れるとどれほど騙されても悔ないし、少し休養して養生したらといってもペンを離さない。頑固と言えば頑固だか、この一徹さが権力も懼れず、金力に屈せず、暴力にも負けないのだ。 ? 今東光、『週刊小説』(1975年5月15日号) ネットをはじめとする情報技術の発達により、フェイス・トゥー・フェイスで情報収集を行うための場所としての役割は相対的に低下した。その一方で、昭和出版業界黄金期を醸成した舞台としての文化遺産的価値や、歴代文化人の精神を理解・継承し得る場所としての価値(=『聖地』としての価値)が言及されるようになってきている。 (作家による記述例)いつか(先輩作家に対し)恩返しをしなければならない。そのためにはもっともっといかなければならないし、若い作家を誘わなければ。(中略) 我々にとって、『数寄屋橋』は『聖地』であり『学校』であり、そして『憩い』の場だった。これからもずっとそうあって欲しい。 ? 大沢在昌、『文壇バー -君の名は「数寄屋橋」』への寄稿太宰がなじみにしたここ『ルパン』はずっと特別な存在でした。バーのさんざめくような喧騒が好きで行きつけもありますが、昭和初期からあって、そしてそのむかし太宰が通ったルパンは“色”が違うゆうんですかね。 ? 又吉直樹、『GQジャパン』(2016年5月5日号)
2010年代
著名な文壇バー(抜粋)
ルパン(1928年 - )初代マダム・高ア雪子(1995年没) 店内の太宰治を捉えた林忠彦の写真で知られる[6]。
エスポヮール(1948年 - 1989年)初代マダム・川辺るみ子(1989年没)
らどんな(1949年 - 2007年)初代マダム・瀬尾春(1991年没)
おそめ(1955年 - 1978年)初代マダム・上羽秀(2012年没)
葡萄屋(1957年 - 2000年)初代マダム・井上みち子
眉(1959年 - 1985年)初代マダム・長塚マサ子(2003年没)
姫(1959年 - 2013年)初代マダム・山口洋子(2014年没)
ラ・モール(1960年 - 1980年代前半) 初代マダム・花田美奈子(2013年没)
風紋(1961年 - 2018年)初代マダム・林聖子(2022年没。太宰治「メリイクリスマス」のヒロインのモデル)
魔里(1963年 - )初代マダム・大久保マリ子(現役)
数寄屋橋(1967年 - )初代マダム・園田静香(現役)
脚注^ a b 本当にあるの?憧れの文壇バー
^ 「ゴールデン街の歴史」『 ⇒新宿ゴールデン街』誠美興業。
^ 銀座、夜の女たちスペシャル
出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2018年7月)
峯島正行『さらば銀座文壇酒場』青蛙房、2005年
園田静香(編)『文壇バー - 君の名は「数寄屋橋」』財界研究所、2005年
園田静香『銀座の夜の神話たち 1万8250日の物語』財界研究所、2017年
石井妙子『おそめ?伝説の銀座マダム』新潮社、2009年
金森幸男『エスポワールの日々』日本経済新聞社、1993年
大下英治『銀座らどんな物語』講談社、1992年