国内政策では、仏教を拡大するために498年に平壌に金剛寺を創建した。在位28年にして519年に死去し、文咨明王と諡された。埋葬地については記事はない。死後、北魏の霊太后からは<車騎大将軍>を追贈された。
脚注^ ただしこの戦勝記事については、対応する『三国史記』百済本紀・武寧王12年9月条には、高句麗の戦勝後に武寧王が精兵3千騎を用いて急襲し、高句麗兵を壊滅させたと記している。
参考文献
『三国史記』第2巻 金富軾撰 井上秀雄訳注、平凡社〈東洋文庫425〉、1983 ISBN 4-582-80425-X
『三国遺事』一然撰 坪井九馬三・日下寛校訂<文科大学史誌叢書>東京、1904(国立国会図書館 近代デジタルライブラリー)
表
話
編
歴
高句麗王(第21代:492年 - 519年)
東明聖王前37-前19 / 瑠璃明王前19-18 / 大武神王18-44 / 閔中王44-48 / 慕本王48-53 / 太祖大王53-146 / 次大王146-165 / 新大王165-179 / 故国川王179-197 / 山上王197-227 / 東川王227-248 / 中川王248-270 / 西川王270-292 / 烽上王292-300 / 美川王300-331 / 故国原王331-371 / 小獣林王371-384 / 故国壌王384-391 / 好太王391-413 / 長寿王413-491 / 文咨明王492-519 / 安臧王519-531 / 安原王531-545 / 陽原王545-559 / 平原王559-590 / 嬰陽王590-618 / 栄留王618-642 / 宝臧王642-668
一覧
カテゴリ