文化_(代表的なトピック)
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レヴィ=ストロースによれば、言語は文化の条件であるという[9]。つまり文化は、それが非言語的なものであっても言語的な性質を備えている象徴的な事象と定義するもので、構造主義文化人類学者によく使われる[注 1][10]
社会学的文化

出発点が近代社会とは異なる世界を記述するための概念であった人類学的文化は、やがて近代社会を理解するための学問である社会学にも取り込まれるようになった。社会学における文化の定義は人類学から大きく影響を受けているが、例えばパーソンズは「ひとつの社会システムは、二つかそれ以上の諸社会の社会構造や成員や文化、あるいはそうした諸社会の構造、成員、文化のそのいずれかとかかわりあうことができる」として、一つの社会における多文化的な状況を記述可能にするために、社会システムと並立して正統性を担保するものとしての文化システムを定義づけた[11]。シンボリック相互作用論者、なかでもタモツ・シブタニは、ある特定の集団ないしは社会的世界において、人々に共有されているパースペクティブ(認識枠組)を指すものとして文化を扱い、同じく、一つの社会における多文化的な状況(文化の多元的共在)の説明に有用な概念として捉えている[12]ハーバーマスは文化 (Kultur) を「文化とは知のストックのことであり、コミュニケーションの参加者達は世界におけるあるものについての了解しあうさいに、この知のストックから解釈を手に入れる」としている[13]。このように行為、あるいはコミュニケーションに利用されるストックというアイデアは、ルーマンのゼマンティーク (Semantik)、フーコーのアーシーブ(Archive) などとも関連性が深い[14]

文化人類学者のクリフォード・ギアツもパーソンズ由来の文化を採用しているので、現在では社会学的文化と人類学的文化の境目はあまり重要ではない。
考古学的文化詳細は「文化 (考古学)」を参照
文化を担う集団

文化の概念は、通常、人間集団内で伝播されるものに対してのみ用いられるので、個人がただ発明しただけの状態では適用されることはない[15]。また、地域集団時代によって文化様式は大きく異なることがある。アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトは、個々の文化はそれぞれの固有様式で統合されており、他の文化からの基準では本当の意味で理解することは困難であり、相対化と再帰的な検討が必要であるという文化相対主義を展開した。

文化は人間集団によって作られるが、同時に個々の人間も環境という形で、不断に文化に適応学習させられていると考えられる。

日本文化や東京の下町文化、室町文化など地理的、歴史的なまとまりによって文化を定義するもの、おたく文化のように集団を構成する人を基準に文化を定義するもの、出版文化や食文化のように人の活動の種類によって定義するものなど、個々の文化は様々な形で定義、概念化される。

さらに小規模な集団にも企業の「社風」、学校の「校風」、ある家系の「家風」などがあり、これらも文化と呼ばれる。
動物の文化詳細は「文化 (動物)」を参照

上記のタイラーの定義にもみられるとおり、社会科学分野では人間以外の生物は文化を持たないものと長年考えられてきた[16]。しかし野生動物の長期野外調査の蓄積によって、同種個体でも地域差が見られたりすることや道具を使用することは知られている。たとえば、ニュージーランド沖の島に住むセアカホオダレムクドリの鳥のさえずりは、遺伝的に親から子へ伝わるのではなく、人間の言語と同様に、模倣という手段によって伝達され、異なるグループでは方言のように異なるさえずりが観察できる[17]。これは、多くの動物が社会的学習能力を持ち、さらにそれを集団内において文化的伝統として保持していることを示している[18]。一方で、そうした文化的伝統は蓄積を伴わず、ある獲得された文化を改良してさらに優れた文化を生み出すといった動きは人間以外の生物にはまったく見られない[19]
文化にまつわる議論
文化進化
進化主義

文化という概念がほぼ確立した19世紀には、文化や社会がどのように進化していくかという社会文化的進化の理論も同時に構築されつつあった。当時は文化は遅れた状態から進化するものであり、その進化の仕方は全ての文化において同一であると考えられていた。この理論を単系進化と呼ぶ。こうして成立した社会進化論は当時のヨーロッパの自文化中心主義と容易に結びつき、ヨーロッパの文化こそが最も進んだものであり、そのほかの文化は進化の先端たるヨーロッパ文化にいまだたどり着いていないという考え方が主流となった[20]。この理論は、他文化に属する人類を全くの他者ではなく、文化が異なるだけでともかくも同じ「人類」とみなすようになったという点でそれ以前に比べ改善が見られたものの[21]植民地主義と強く結びつき、こうした遅れた地域を指導し、文化的に発展させ近代化させるということが帝国の役割であるという独善的な考えが強く押し出されるようになった[22]。このような観点から、野蛮・未開とされた人間を動物園の動物のように見せる人間動物園が流行した[23]。また、この理論に従い、各分野で文化の発展図式が構築された[20]

後にフランツ・ボアズ文化相対主義の立場から猛烈に批判し、単一発展史観は現在では論じられることはなくなった[24]
新進化主義

古い進化主義が否定されたのち、1940年代に入ると再び進化主義の要素が文化理論に取り入れられるようになり、ネオ進化主義が誕生した。これはレズリー・ホワイト(英語版)による文化進化の客観的な測定基準の導入や、ジュリアン・スチュワードによる単系進化の否定と多系進化の提唱を経て、マーシャル・サーリンズとエルマン・サービス(英語版)によって理論の統合がなされた[25]

また、生態人類学においては、身体的な限界を越えて環境に適応するためのあり方として文化の生態的な側面が分析される。もちろん全ての文化的な行動について生態的な適応という観点から分析できると考えられているわけではないが、例えばマーヴィン・ハリスカニバリズムを儀礼的な側面よりもたんぱく質の摂取という観点で考察する[26]
文化についての語り
誰の文化なのか

文化相対主義の浸透などにより、現代においては文化によって他文化の排除を図ることは望ましくない態度とされ、むしろ文化の多様性が称揚される場面が多くなりつつある[27]。一方で、いまだそうした差異を排撃する地域も多い。その場合批判は当該地域の古くからの伝統文化に基づくこともあるが、従来さして重要とみなされてこなかった差異をクローズアップしたうえで多文化排撃の根拠とすることもみられる[28]。こうした動きは、他文化への干渉と批判を躊躇する態度によってしばしば助長される[29]

例えば、女性割礼はしばしばイスラム教の慣習として語られるが、イスラム法コーランにはそのような記載はないことから、いくつかのイスラム国家では行われていない慣習であり、イスラム法学者によって非イスラム的な慣習であることが発表されている[30]


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