文化_(代表的なトピック)
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上記のタイラーの定義にもみられるとおり、社会科学分野では人間以外の生物は文化を持たないものと長年考えられてきた[16]。しかし野生動物の長期野外調査の蓄積によって、同種個体でも地域差が見られたりすることや道具を使用することは知られている。たとえば、ニュージーランド沖の島に住むセアカホオダレムクドリの鳥のさえずりは、遺伝的に親から子へ伝わるのではなく、人間の言語と同様に、模倣という手段によって伝達され、異なるグループでは方言のように異なるさえずりが観察できる[17]。これは、多くの動物が社会的学習能力を持ち、さらにそれを集団内において文化的伝統として保持していることを示している[18]。一方で、そうした文化的伝統は蓄積を伴わず、ある獲得された文化を改良してさらに優れた文化を生み出すといった動きは人間以外の生物にはまったく見られない[19]
文化にまつわる議論
文化進化
進化主義

文化という概念がほぼ確立した19世紀には、文化や社会がどのように進化していくかという社会文化的進化の理論も同時に構築されつつあった。当時は文化は遅れた状態から進化するものであり、その進化の仕方は全ての文化において同一であると考えられていた。この理論を単系進化と呼ぶ。こうして成立した社会進化論は当時のヨーロッパの自文化中心主義と容易に結びつき、ヨーロッパの文化こそが最も進んだものであり、そのほかの文化は進化の先端たるヨーロッパ文化にいまだたどり着いていないという考え方が主流となった[20]。この理論は、他文化に属する人類を全くの他者ではなく、文化が異なるだけでともかくも同じ「人類」とみなすようになったという点でそれ以前に比べ改善が見られたものの[21]植民地主義と強く結びつき、こうした遅れた地域を指導し、文化的に発展させ近代化させるということが帝国の役割であるという独善的な考えが強く押し出されるようになった[22]。このような観点から、野蛮・未開とされた人間を動物園の動物のように見せる人間動物園が流行した[23]。また、この理論に従い、各分野で文化の発展図式が構築された[20]

後にフランツ・ボアズ文化相対主義の立場から猛烈に批判し、単一発展史観は現在では論じられることはなくなった[24]
新進化主義

古い進化主義が否定されたのち、1940年代に入ると再び進化主義の要素が文化理論に取り入れられるようになり、ネオ進化主義が誕生した。これはレズリー・ホワイト(英語版)による文化進化の客観的な測定基準の導入や、ジュリアン・スチュワードによる単系進化の否定と多系進化の提唱を経て、マーシャル・サーリンズとエルマン・サービス(英語版)によって理論の統合がなされた[25]

また、生態人類学においては、身体的な限界を越えて環境に適応するためのあり方として文化の生態的な側面が分析される。もちろん全ての文化的な行動について生態的な適応という観点から分析できると考えられているわけではないが、例えばマーヴィン・ハリスカニバリズムを儀礼的な側面よりもたんぱく質の摂取という観点で考察する[26]
文化についての語り
誰の文化なのか

文化相対主義の浸透などにより、現代においては文化によって他文化の排除を図ることは望ましくない態度とされ、むしろ文化の多様性が称揚される場面が多くなりつつある[27]。一方で、いまだそうした差異を排撃する地域も多い。その場合批判は当該地域の古くからの伝統文化に基づくこともあるが、従来さして重要とみなされてこなかった差異をクローズアップしたうえで多文化排撃の根拠とすることもみられる[28]。こうした動きは、他文化への干渉と批判を躊躇する態度によってしばしば助長される[29]

例えば、女性割礼はしばしばイスラム教の慣習として語られるが、イスラム法コーランにはそのような記載はないことから、いくつかのイスラム国家では行われていない慣習であり、イスラム法学者によって非イスラム的な慣習であることが発表されている[30]。実際に女性割礼を行いイスラムの文化であると主張していた集団が、イスラム法学者のそのような主張を聞くと、民族固有の文化であると根拠を切り替えて、多文化主義の立場から文化実践を継続することがある。

このように文化実践の主体の帰属先自体が、人々の都合によって変更される。
文化の権利

ある文化実践の由来や実態について、文献資料を用いる文化人類学者と現地の実践者の間に齟齬が生じることがある。

近代史研究は、自明とみなされてきた文化が比較的近年に「発明」されたものだということを明らかにしてきた。しかし「オセアニアンは過去における先祖の生活についての神話などを、現地の人々は政治的シンボルとして発明している」という文化人類学者の見解[31]は、現地の人々にとって「文化人類学者は祖先の文化をまったく知らず、自己規程の力さえ奪おうとしている」という傲慢な態度にほかならず、反発を受ける[32]

このような議論の極端な事例が捏造疑惑である。マーガレット・ミードはサモア人女性は性的に開放的であると議論した[33]が、のちに調査した文化人類学者やサモア人から反論がされた[34]。実際にミードが捏造をした、もしくは経験不足で嘘や冗談を見抜けず誤ったことを書いてしまったのか、サモアの文化そのものが変貌したのかについては議論が分かれている[35]

また文化人類学者の横暴に対して現地の人々が反発したものとして、例えば南米の狩猟採集民族ヤノマミ族は他人を罵倒する言葉として、「人類学者(アンスロ)」が定着しているという[36]ことが挙げられる。
文化の社会言語的意味

日本では大正時代に入ると、ある種の近代性や合理性のあるデザインやモノに「文化」という語をつけて新しさを示すことが流行した[37]。洋風を取り入れた文化住宅[38]文化アパートメントなどがこの頃にできた語である[39]。第二次世界大戦後には再びこの流行がおき[40]文化鍋[41]文化包丁といった調理関連、文化干しのような食品関連、学校名など広範な対象物に「文化」の文字が冠され、また文化住宅も関西地方において「木造2階建て、棟割りの賃貸アパート」を指す言葉として復活した[40]
カルチュラル・スタディーズ詳細は「カルチュラル・スタディーズ」を参照

文化人類学において、文化は人間の行為を媒介する象徴の体系である。しかしイギリスの文学研究者たちが、イギリス国内のマスメディア現象を批判的に分析するためにうまれた研究手法であるカルチュラル・スタディーズでは、均質であることの想定を許さない社会における文化を分析対象とするために、「ある社会において生活している人々の誰もが、等しく共有しているわけではない」という「社会認識」をもとに文化を位置づけた。
未開文化の消滅

人類学は、未開社会の貴重な文化が西欧文化やグローバリゼーションなど外部の悪影響で消えつつあることを告発していたが、現在では他の文化を未開社会とみなす姿勢はもとより、真正・純正の文化がある・あったという思考自体が批判されている。


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