19世紀末のドイツにおいて、新カント派のリッケルトやヴィンデルバントらは、歴史的諸学が自然科学と異なる点に注目した。すなわち、価値から離れた自然法則を一般的方法により把握するのが自然科学であるのに対し、歴史諸科学は、文化的価値を付与された文化形態、文化的価値関係を個別的な方法で把握するものである。そして、後者を文化科学と呼んだ。
その後、マックス・ウェーバー、カッシーラーらの方法論に影響を与えるなかで、自然科学に対する諸学の総称として従来の精神科学の代わりに用いられるようになった。たとえば、ウェーバーにとって、「何らかの具体的現象を、その十全な現実性において漏れなく因果的に遡及することは、実際上、不可能なだけではなく、まったく無意味」であるから、文化科学は「個々の場合に、ある出来事の『本質的』な構成部分が帰属されるべき原因だけを掴み出す」ものであり、つまりは、法則を探求することでなく具体的な因果連関(個性的な布置連関
)を求めることなのである(『社会科学方法論』88?90頁)。
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