株式会社文化放送(ぶんかほうそう、英: Nippon Cultural Broadcasting Inc.)は、関東広域圏を放送対象地域とし、中波放送(AMラジオ放送)事業を行っている特定地上基幹放送事業者である。
フジテレビジョン、産業経済新聞社などとともに、フジサンケイグループに属する[4]。文化放送グループの中核企業でもある[4]。
略称は開局当初の局名「日本文化放送協会」の英称、かつ現在の局名の英称の頭文字を取ったNCBであるが、1954年以降はコールサイン「JOQR」からQRを使用している。
2024年度は、『オトナのホンネ 文化放送』をステーションキャッチフレーズとしている。 同じ在京ラジオ局のニッポン放送と共にフジサンケイグループのラジオ部門を構成し、ラジオネットワーク「全国ラジオネットワーク (NRN)」のキー局を務めている。 文化放送はフジサンケイグループの統一シンボルマークである「目玉マーク」を用いず、現在は『文化放送』および『&』をマイクに見立てて図案化した『& 文化放送』(2015年 - )のロゴマークを使用している。以前は、「QR」と電波をモノグラム化した旧社章(1956年 - 1983年。伊藤憲治作)、『JOQr』を図案化した物(1984年 - 2006年、ロバート・マイルズ・ラニアン[注釈 1]作)、アンテナをモチーフとした物(2006年 - 2015年)を使用していた。 カトリック布教を目的に、聖パウロ修道会が1951年に設立した「財団法人日本文化放送協会」(NCB) を前身とする。 開局時は「日本文化の向上を図るとともに、真善美の理想と正義、人道を基調とした健全な民主主義思想の普及、国家の興隆と民族の繁栄に資する」と理念を掲げた。しかし、実権を握っていた聖パウロ修道会のパウロ・マルセリーノ司祭による独善的な運営や、開局の際にNHKからレッドパージされた職員を大量採用したことで労働争議が頻発し、おまけに宗教色に対する周囲からの警戒感や、娯楽番組の少なさによる聴取率の低迷、小出力による放送地域の狭さ、営利を重視しなかったことなどから、経営状態が悪化して代表者が頻繁に入れ替わったり、「共産圏の日本向け放送ではないか」と言われるほどに放送内容が偏向し、「左傾・反米化していた日本労働組合総評議会(総評)に乗っ取られる」などとする噂もあった[5]。 これに危機感を抱いた財界は旺文社、講談社等の出版社や各界企業と協力して対抗策を講じる事にした結果、聖パウロ修道会と聖パウロ女子修道会は局運営からの撤退を余儀なくされ、財団法人日本文化放送協会は解散した。ただし、聖パウロ修道会は当時の社屋や送信所等設備に出資したということで見合いの株式を交付され、現在では文化放送の筆頭株主になっており、役員を一名送り込んでいる。 東京急行電鉄、旺文社、大日本印刷、小学館、講談社、東映、家の光協会等、財界・出版界の出資による「株式会社文化放送」が1956年2月13日、設立。同年2月14日、無線局免許状が引き継がれた。初代会長は澤田節蔵(元国際連盟日本事務局代表、後に東京外国語大学初代学長)、社長に水野成夫(国策パルプ工業(現 日本製紙)副社長)。後に澤田が東京外大学学長に専任するため、後継会長に渋沢敬三(元日本銀行総裁、大蔵大臣)を送り込んで、再建に乗り出した。 文化放送は財団法人時代から数回ほどテレビ放送の免許を申請しているが、周波数が足りないという理由で却下されている。後にニッポン放送[注釈 2] との共同出資で、フジテレビの設立に参加しフジサンケイグループの一員となっている。 一方、旺文社を通じてテレビ朝日と交流していた期間が長きに亘って続いた。人気番組のCMや埼玉西武ライオンズ戦や東京国際女子マラソン → 横浜国際女子マラソン → さいたま国際マラソン[注釈 3] 中継などのスポーツ中継を始め、テレビ朝日アナウンサーが番組をコラボとしてゲスト出演し、文化放送とテレビ朝日が連携しているケースが少なくなかった[注釈 4]。
概説
歴史