文化放送
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1955年(昭和30年)6月19日 - 夏季手当要求と株式会社改組の際の身分保障に関し、午後4時から1時間の停波ストライキ決行[13]。
1984年まで使われた文化放送ロゴ1984年まで使われた文化放送ロゴとマーク
1956年(昭和31年)
2月13日 - 財団法人日本文化放送協会解散。東京急行電鉄、旺文社、大日本印刷、小学館、講談社、東映等、財界・出版界の出資による、株式会社文化放送設立。
2月14日 - 午前0時、財団法人日本文化放送協会から、株式会社文化放送に放送免許が引き継がれる[注釈 20]。
6月22日 - 日本フィルハーモニー交響楽団を結成。専属とする[注釈 21]。
7月 - テレビ放送免許を再申請したが、周波数不足を理由に、再度却下される。
1957年(昭和32年)11月18日 - 関東広域圏のテレビ免許割当を受け、ニッポン放送と共同で富士テレビジョン(現・フジテレビジョン)を設立。1967年、フジサンケイグループを合同で組織する。
日本の放送局で初めての道路交通情報を、『交通ニュース』というタイトルで放送。
1959年(昭和34年) - 産業経済新聞社と報道面で提携。2月1日より、サンケイニュースの放送を開始。
1961年(昭和36年) - ステーションソング「QRの歌」(通称:QRソング)発表。
1962年(昭和37年)12月26日 - 東京消防庁の協力による『日本火災の救急速報』の放送を開始。
1965年(昭和40年)
5月3日 - ニッポン放送などと共同で、全国民放ラジオ31社を結ぶ全国ラジオネットワーク (NRN) を発足。土曜・日曜のプロ野球ナイター中継を本格的に開始[注釈 22]。
8月 - 『真夜中のリクエストコーナー』[注釈 23] 開始。
1967年(昭和42年)4月3日 - 24時間放送開始[注釈 24]。
1968年(昭和43年)
10月 - 歌手の新人賞の一つである、『新宿音楽祭』開始(1994年で終了)。
11月19日 - 深夜放送『日野ミッドナイトグラフィティ 走れ!歌謡曲』[注釈 25] 開始。
1971年(昭和46年)
3月 - 渡辺プロダクションとの合弁による、レコード会社 アポロン音楽工業を設立[注釈 26]。
11月1日 - 出力を100kWに増力。[14]
1973年(昭和48年) - 大相撲中継を復活させ、『大相撲熱戦十番』をレギュラー化[注釈 27]。
1976年(昭和51年) - 産業経済新聞社と東京急行電鉄の保有株式が旺文社に売却されたことによって、フジサンケイグループ色が薄まる。この売却を機に、定時ニュースも『サンケイ新聞ニュース』から、自社取材と共同通信社からの配信記事に基づく『文化放送ニュース』へ変更。
1977年(昭和52年) - 『日本大相撲トーナメント』(日本相撲協会、フジテレビ共催)開始。
1978年(昭和53年)11月23日 - ITU(国際電気通信連合)の取り極めで、周波数が9kHzステップへ移行。それに伴い、午前5時をもって、周波数を1134kHzに変更。
1979年(昭和54年)- テレビ朝日専務取締役の岩本政敏が、代表取締役社長に就任。テレビ朝日との交流が本格的になる[注釈 28]。
1982年(昭和57年)4月5日 - 平日のナイター中継『文化放送ライオンズナイター』を開始。
1984年 - 2006年に使われた『JOQr』を図案化した先々代ロゴ
1988年(昭和63年)9月 - 株式会社キューアールエステートを合併。
1992年(平成4年)3月15日 - 午前9時から、AMステレオ放送の本放送を開始。
1994年(平成6年)1月2日、1月3日 - 日本テレビ制作協力の下、『第70回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)』を放送。以後、毎年放送される。
1995年(平成7年)4月2日 - 開局日以来、毎日続いていた『大学受験ラジオ講座』が終了。
1998年(平成10年)6月10日 - 時の記念日を期に、時報音をピ・ピ・ピ・ポーンから「QRソング」をアレンジした物へと変更(2015年12月6日まで。その後、開局70周年記念企画として2021年3月29日より再使用)。
1999年(平成11年)12月 - 東京都庁第1本庁舎45階(北展望室)に、サテライトスタジオ「スタジオSOLA」を開設[注釈 29]。
2000年(平成12年)12月1日 - BSフジの超短波放送チャンネル「BSデジタル音声放送」の一つで、同局が制作を担当する「BSQR489」の放送を開始。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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