文化学院
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三木清田中美知太郎福武直清水幾太郎美濃部達吉吉野作造等の政治学者、法律学者、哲学者、思想家が講義をはじめたのもこの頃である。「賀頌」(与謝野晶子・詩、山田耕筰・作曲)を式歌とする。

1943年、反政府思想による天皇批判、自由思想によって不敬罪で拘禁され、文化学院の閉鎖命令を受ける。伊作は半年間投獄され、釈放後も裁判やり直しを求めたが、終戦の混乱で自然回避した。そして戦後、伊作は文化学院を再興する。戦時中、文化学院は捕虜収容所となっていたため、米軍の空襲を免れ、そのおかげで近くの山の上ホテルも焼けずに済んだという。しかし同じお茶の水にあるアテネ・フランセは空襲で焼失し、戦後は文化学院の校舎の一部を借りて講義を再開、1962年に新校舎が完成するまで文化学院内で講義が行われた。
閉校

多くの著名な芸術家、作家、役者等々を輩出したが、次第に経営が思わしくなくなり、2016年には専修学校の募集を停止。2018年2月に法人は学校法人了徳寺学園と統合することを公表し、同年3月末にて文化学院は閉校した[3]

なお、文化学院の各種証明書の発行は了徳寺学園が行っている[4]

同校関連の人物については、文化学院の人物一覧を参照のこと。
沿革

1920年(大正9年)- 4月、西村伊作東京神田駿河台に土地を求める。8月、軽井沢星野温泉与謝野寛晶子夫妻、西村伊作、河崎なつ石井柏亭等、滞在。新教育の学校を創る話が出る。10月、この頃より、学校設立の話、具体化する。

1921年(大正10年) - 西村伊作により各種学校として開校。創立には、先述の芸術家たちが携わった。学校令に縛られない自由な教育を目指し、あえて各種学校としたという。また、4年制の中学部(旧制中学校に相当)は日本初の男女共学を実施した。

1923年(大正12年) - 木造4階建て校舎増築。しかし、落成直後に関東大震災に遭い焼失。残された半地下室の煉瓦とコンクリートの基礎の上に再び木造2階建て校舎を建築し、授業を継続。

1925年(大正14年) - 本科と美術科による大学部(男女共学旧制専門学校に相当)設置。また、「賀頌」(与謝野晶子・作詞、山田耕筰・作曲)を式歌とする。

1930年(昭和 5年) - 本科を文学部、美術科を美術部と改称。文学部長に菊池寛、美術部長に石井柏亭、女学部長に与謝野晶子が就任。

1931年(昭和 6年) - 大学部を第一回生として卒業した、伊作の長女西村アヤが、文化学院の教壇に立ち、高等課程の英語科創設を手がけた。

1936年(昭和11年) - アーチの校舎完成。

1937年(昭和12年) - 旧館校舎完成。軽井沢では夏季講習がはじまり、この地域で夏を過ごす川端康成谷川徹三岸田國士らによって講演が行われる。

1943年(昭和18年) - 文化学院強制閉鎖。軍部は「自由思想は戦時体制に合わない」として、校長西村伊作を拘禁し、学校を強制的に閉鎖する。校舎は軍部が接収し、連合軍捕虜収容所となる。

1945年(昭和20年) - 校舎返還。西村伊作は未決のまま、解放される。

1946年(昭和21年) - 文化学院再開。美術科、日曜美術科、英語科(のちの高等課程の前身)を創設。無宗教の修養講座「文化教会」を立ち上げる。

1949年(昭和24年) - デザイン科設立(主任は伊作の次女の板倉ユリ)。

1963年(昭和38年) - 創立者の西村伊作死去。校長に石田アヤが就任、理事長には西村久二が就任。

1966年(昭和41年) - 5階建ての新校舎完成。アートアンドクラフトセンター設立。

1967年(昭和42年) - 建築科設立(西村久二が科長兼任)。山梨県清里に文化学院清里寮完成。

1968年(昭和43年) - 高等部が英語科と美術科の2科となる。

1972年(昭和47年) - 専修学校の認可。文科・美術科は専門課程に、高等部の英語科・美術科は高等課程になる。

1982年(昭和57年) - 埼玉県庄和町に庄和町グランドとして学生や教師、卒業生たちのレクリエーションの場となっていた土地に陶磁科を新設する。

1985年(昭和60年) - 庄和町グランドの地に文化学院芸術専門学校を開校。専門課程美術科および、高等課程に相当する芸術科を設立。戸川エマが死去し、文学科科長に立花利根が就任。

1987年(昭和62年) - 軽井沢に文化学院学生寮を設立。

1988年(昭和63年) - 石田アヤ校長が急逝。後任の校長に西村八知が就任。

1997年(平成 9年) - 軽井沢に「ルヴァン美術館」を開館。建物は創立当時の文化学院の校舎を再現した。

2004年(平成16年) - 高等課程にデジタルデザイン科を新設。科長に伊作の孫の坂倉竹之助

2008年(平成20年) - 14階建ての新校舎完成。日本BS放送本社屋との共同使用。

2009年(平成21年) - 専門課程(2年制)を放送・映画学科(放送コース、映画コース)、総合芸術学科(音楽・ダンスコース、演劇・声優コース、総合デザインコース、美術・クラフトコース、文芸コース)の2学科7コースとし、高等課程(3年制)を総合芸術科(演劇・音楽・ダンスコース、美術コース、文芸コース)の1学科3コースに再編。校長に戸田一雄、理事に与謝野馨が就任。

2010年(平成23年) - 理事の与謝野馨が院長に就任。

2011年(平成24年) - 理事長に上村武志が就任。


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