「文化」(「ん」にアクセント)と略称されることもある。この種の住宅が「文化住宅」と呼ばれたのは、それまでの長屋や下宿屋など集合住宅の多くが便所や台所を共用としていたのに対し、これらの設備を各住戸に独立して配置したことから、従来の集合住宅よりも「文化的」という理由である[2]。こちらの「文化住宅」の起源ははっきりしない[2]。
近畿にも戦前の「洋風住宅としての文化住宅」は阪神間など大正から昭和初期に開発された地域に多数存在する(阪神間モダニズムを参照)[4]が、言葉としての「文化住宅」は一般に普及せず、もっぱらこちらの意味が広まった。
近年は老朽化が進み、1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災では多くの「文化住宅」が倒壊し、住人の多くが犠牲になった。これらが密集した地区の再開発が老朽化に伴うリノベーションとも絡んで課題となっている。
脚注^ a b c 文化住宅にしひがし(1ページ目) - 朝日新聞デジタル(ことばマガジン) - ウェイバックマシン(2022年1月29日アーカイブ分)
^ a b c d e 文化住宅にしひがし(2ページ目) - 朝日新聞デジタル(ことばマガジン) - ウェイバックマシン(2021年12月24日アーカイブ分)
^ その時代の建築に限らず、現在もいわゆる「マンション」ではない安アパートの異称として用いられており、比較的近年に建てられた軽量鉄骨造や風呂付きの物件でも「○○文化」と命名されている例がある。
^ 大阪鉄道が1927年(昭和2年)から藤井寺駅近くに分譲を開始した住宅地について報じた1929年(昭和4年)1月15日付の大阪朝日新聞には、「約六万坪にわたり勤人向けの文化住宅百五十余戸を建てる目的ですでに建設に着手し」という記述が見られる(永井良和・橋爪紳也『南海ホークスがあったころ』(紀伊國屋書店、2003年)P21)。
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