整数論
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友愛数とは、2つの異なる自然数の組で、自分自身を除いた約数の和が互いに他方と等しい。10世紀にはイブン・タヒル・アル=バグダディがサービト・イブン=クッラの手法を若干変えた手法を見つけている。

10世紀のイブン・アル・ハイサムは偶数の完全数(その数自身を除く約数の和がその数自身と等しいもの)を世界で初めて分類しようと試みたと見られ、 2 k − 1 {\displaystyle 2^{k}-1} が素数のとき、 2 k − 1 ( 2 k − 1 ) {\displaystyle 2^{k-1}(2^{k}-1)} が完全数となることを発見した。またアル・ハイサムはウィルソンの定理を最初に発見した。これは、p が素数ならば 1 + ( p − 1 ) ! {\displaystyle 1+(p-1)!} が p で割り切れるという定理である。彼がこの定理の証明を知っていたかどうかは不明である。ウィルソンの定理という名称は、エドワード・ウェアリングが1770年にジョン・ウィルソンがこの定理に気づいたと記したことに由来する。ウィルソンも証明を知っていた証拠はなく、ウェアリングも確実に証明法を知らなかった。この定理を証明したのはラグランジュで、1773年のことである。

イスラム数学では友愛数が大きな役割を果たした。13世紀のペルシア人数学者アル・ファリシは、因数分解と組合せ数学の新たな重要な方法を導入して、サービト数と友愛数の関係について新たな証明を見出した。彼はまた、17296 と 18416 という友愛数も発見している。通常これらはオイラーが発見したとされているが、アル・ファリシの方が早いし、サービト・イブン・クッラ自身も知っていた可能性がある。17世紀にはムハンマド・バキル・ヤズディが友愛数 9,363,584 と 9,437,056 を発見しており、これもオイラーより先である。
ヨーロッパ

13世紀レオナルド・フィボナッチは著書の1つとして『平方の書』 (Liber Quadratorum) を書いた。その中でピタゴラス数を扱っている。彼は平方数が奇数の和として記述できると記している。彼は合同数の概念を定義し、ab(a + b)(a - b) という形で表される数は a + b が偶数ならば合同数であり、a + b が奇数ならばそれを4倍したものが合同数だとした。フィボナッチは x 2 + C {\displaystyle x^{2}+C} と x 2 − C {\displaystyle x^{2}-C} が共に平方数ならば C が合同数であることを示した。また、平方数は合同数となりえないことも証明した[1]。フィボナッチの数論への貢献は大きく、「『平方の書』だけでフィボナッチはディオファントスと17世紀のフランス人数学者ピエール・ド・フェルマーの間で最大の貢献者に位置づけられる」とされている[2]

16世紀から17世紀には、フランソワ・ビエト、クロード=ガスパール・バシェ・ド・メジリアクらが数論の発展に貢献し、特にピエール・ド・フェルマー無限降下法を用いてディオファントスの問題について初めての一般的証明を与えた。1637年にフェルマーが提示したフェルマーの最終定理については、1994年まで証明できなかった。フェルマーは1657年に 61 x 2 + 1 = y 2 {\displaystyle 61x^{2}+1=y^{2}} という方程式も問題として提示している。

18世紀にはオイラーとラグランジュが数論の分野で重要な貢献をした。オイラーは解析的整数論の研究も行い、方程式 61 x 2 + 1 = y 2 {\displaystyle 61x^{2}+1=y^{2}} の解法を見出した。ラグランジュはさらに一般化したペル方程式の解法を見出した。オイラーやラグランジュのペル方程式の解法は連分数を使うものだが、インドのチャクラバーラ法に比べると複雑である。
近代数論の始まり

18世紀の終わりにルジャンドルの『数の理論に関する試作』(Essai sur la Theorie des Nombres、1798年)が出版される。19世紀に入って出版されたガウスの『算術研究』(Disquisitiones Arithmeticae、1801年)は、近代数論の扉を開いたとされている。

合同についての理論はガウスの著作『算術研究』が始まりである。彼は次のような記法を導入した。 a ≡ b ( mod c ) {\displaystyle a\equiv b{\pmod {c}}}

そして、合同算術について広く考察している。1847年にチェビシェフはロシア語で合同算術についての著作を出版し、フランスではジョゼフ・アルフレッド・セレがそれを広めた。

ルジャンドルはそれまでの成果をまとめただけでなく、平方剰余の相互法則についても記している。この法則はオイラーが数値計算に基づき帰納的に発見し発表したもので、ルジャンドルが自著『数の理論に関する試作』(1798年)で証明を試みた。オイラーやルジャンドルとは別にガウスも1795年にこの法則を独力で発見し、1796年4月8日に最初の完全な証明を完成させた。他にその発展に貢献した数学者として、コーシー、数論の古典とされている『整数論講義』で知られるディリクレデーデキントヤコビ記号を導入したヤコビリウヴィルアイゼンシュタインクンマークロネッカーらがいる。この理論はさらに3次剰余の相互法則、4次剰余の相互法則へと発展した。アイゼンシュタインは最初に3次剰余の相互法則の証明を発表した。


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