動詞や形容詞などでは、その主語や被修飾語などの名詞等が指す対象の数量的な相違を表す(「一致」という)。例えば、ラテン語で、amat は「彼/彼女は愛する」(主語は一人)であるが、amant は「彼ら/彼女らは愛する」(主語は二人以上)である。
数えられる複数の対象からなる集団を表す名詞を集合名詞といい、名詞と動詞等の数が形式上一致しない場合がある。例えば英語の family などは、人でなく集団自体を指す場合には単数(複数の集団を指す場合は複数形になる)、集団の構成員全体を指す場合には単数形のままで複数として扱われる。
多くの言語では、名詞の単数形が無標、複数形が有標(例えば英語の複数語尾-s)というパターンが一般的であるが、集合名詞に当たる名詞で逆に単数形が有標となる言語もある。
このほか、一部の言語では動詞により表される動作・現象が単独(単発)か複数(反復)かによる区別(相)がある。
日本語の数「複数#連合複数」も参照
日本語では名詞について複数を表す「たち」「ら」「ども」といった接尾辞がある。ただし、英語と異なり、「猫たち」といってもそれは猫だけが何匹もいるとは限らず、猫を含めて犬や鼠、鳥…といった動物が総合的に複数いることを表すこともある。そのため「山田君たち」という表現が成立し、それは何人もの山田君がいるのではなく、山田君を代表とするグループで複数の人間がいることを示している。つまりこれら接尾辞は、文法上の数を表現するものではない。しかも、一般には無生物には用いられない(ただし例外的に古い言い回しでは「ことども」などと言う)。
そのほか、「人々」「山々」「国々」など名詞を反復する言い方(畳語)がある。これは特定の名詞にしか用いられず、「*机々」などとは普通言わない(インドネシア語にも同じ用法があるが、かなり一般の名詞に適用される)。
このように日本語には、文法上の数は存在しない。ただし、代名詞に関しては単数と複数の区別がある。(例:「わたし」、「ぼく」は単数の場合に用いられ、「わたしたち」、「ぼくら」は複数の場合に用いられる。)
脚注^ レナード・ブルームフィールド 著、三宅鴻; 日野資純 訳『言語』大修館書店、1962年、339,341頁。
^ ⇒“"None is" vs "none are"”, alt.usage.english FAQ, ⇒http://www.ccp14.ac.uk/ccp/web-mirrors/xtalview-mcree/pub/dem-web/misrael/auefaq3.html#'None%20is'%20vs%20'none%20are'
関連項目
数詞
数量詞
助数詞
序数詞
.mw-parser-output .asbox{position:relative;overflow:hidden}.mw-parser-output .asbox table{background:transparent}.mw-parser-output .asbox p{margin:0}.mw-parser-output .asbox p+p{margin-top:0.25em}.mw-parser-output .asbox{font-size:90%}.mw-parser-output .asbox-note{font-size:90%}.mw-parser-output .asbox .navbar{position:absolute;top:-0.90em;right:1em;display:none}
この項目は、言語学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 言語学)。
表示
編集
典拠管理データベース: 国立図書館
ドイツ
チェコ