JR西日本は、当駅が終点となる北陸本線を所属線としており、当駅が起点となる小浜線、当駅が終点となる北陸新幹線を含め3路線が乗り入れている。この3路線に加えて、2つ隣の近江塩津駅から分岐する湖西線の一部列車も乗り入れ運行系統上の終着駅となっている。そのため駅ナンバリングにおいては北陸本線と湖西線の2線の駅ナンバーを持ち、北陸本線がJR-A01[15][16]、湖西線がJR-B08である[15][16]。ハピラインふくいは、当駅が起点となるハピラインふくい線が乗り入れている。
このほか、当駅からは元・敦賀港駅へ通じる北陸本線の貨物支線(通称「敦賀港線」)が分岐していた[17]。この支線はJR貨物の第一種鉄道事業路線であったが、2009年3月いっぱいで貨物列車の設定がなくなり踏切の線路が埋められて、事実上休線となっていた。その後、2019年4月に正式に廃線となった[18](JR貨物は北陸本線、ハピラインふくい線の第二種鉄道事業免許を有している)。
後述する北陸新幹線の当駅 - 金沢駅間延伸開業に伴う[19][20][21]北陸本線の経営分離により、JR西日本とハピラインふくいとの境界駅となった。[22][23][24]以後の定期旅客列車は4路線いずれもが当駅を起終点としており、貨物列車を除き当駅にて異路線へは直通していない。
当駅 - 新大阪駅間のルートは長らく未定であったが、のち小浜市・京都駅・松井山手駅近辺(京田辺市)を経由するルートで決定した[25][26]。但し、建設費(財源)の問題、京都駅周辺住民による反対意見(京都駅は地下駅を想定しているが、工事により地下水に影響を及ぼす可能性)のほか、環境アセスメントにも着手できていないことから、着工の目途は立っていない。
歴史
年表民営化間もない敦賀駅
(1987年4月)改修前の駅舎(2007年9月)北陸新幹線延伸前の駅舎(2018年9月)北陸新幹線開業当日の新幹線敦賀駅舎(2024年3月16日)
1882年(明治15年)3月10日:官設鉄道の洞道口駅(後の洞道西口駅) - 敦賀駅間と敦賀駅 - 金ヶ崎駅(後の敦賀港駅)間(後の敦賀港線)の開業により[27]、一般駅として設置される[1][28]。
1884年(明治17年)4月16日:柳ヶ瀬トンネルの完成に伴い(同年3月30日に完成)[29]、長浜駅 - 金ヶ崎駅間の全線が開業[27][30]。
1895年(明治28年)4月1日:線路名称が制定され、東海道線の所属となる。
1896年(明治29年)7月15日:北陸線として当駅 - 福井駅間が開業する[31]。
1897年(明治30年)9月20日:東海道線の当駅 - 金ヶ崎駅間の旅客営業が廃止される。
1902年(明治35年)11月1日:線路名称が改定され、東海道線の米原駅 - 敦賀駅 - 金ヶ崎駅間が北陸線に編入される。
1909年(明治42年)
6月1日:氣比神宮南西脇より現在地に移転する。
10月12日:線路名称が改定され、北陸線が北陸本線になる[32]。
1910年(明治43年):2代目駅舎が完成。
1917年(大正6年)12月15日:小浜線当駅 - 十村駅が開業する[13][33]。
1919年(大正8年)1月11日:当駅 - 敦賀港駅間の旅客営業が再開される[34]。
1945年(昭和20年):敦賀空襲で2代目駅舎を焼失する。バラックによる3代目駅舎を建設する。
1951年(昭和26年)3月:4代目の駅舎が完成する。
1957年(昭和32年)10月1日:北陸本線の木ノ本駅 - 近江塩津駅 - 当駅間の新線が単線開業[32]および交流電化され[35]、旧線は柳ヶ瀬線となる[36][37]。
1962年(昭和37年)6月10日:当駅 - 今庄駅間に北陸トンネルが開通し[38]、当該区間の切り替え[32]に伴い交流電化、複線化される。新設6番7番のりば(第3ホーム)を上り線用に使用開始。
1963年(昭和38年)9月30日:鳩原ループ線が開通し、新疋田駅から当駅間が複線化される。柳ヶ瀬線の疋田駅 - 当駅間が休止される。
1964年(昭和39年)5月11日:休止中の柳ヶ瀬線が廃止される[36]。
1986年(昭和61年)11月1日:荷物の取り扱いを廃止[39]。
1987年(昭和62年)
3月31日:敦賀港線の旅客営業を廃止する[34]。
4月1日:国鉄分割民営化に伴い、JR西日本・JR貨物の駅となる[39]。
1997年(平成9年)3月22日:定期貨物列車の設定がなくなる[39]。