教父
アウグスティヌス (至福者アウグスティン) 354年 - 430年
ヨハネス・カッシアヌス(英語版) 360年 - 435年
レオ1世 (ローマ教皇) 390年 - 461年 (カルケドン公会議に教皇特使を派遣[11])
ヌルシアのベネディクトゥス 480年? - 547年 (ベネディクト会の創立者)
アイオナ島のコルンバ 521年 - 597年 (修道院の創立者、アイルランド、スコットランドの守護聖人)
グレゴリウス1世 (ローマ教皇) 540年? - 604年
セビリアのイシドールス 560年? - 636年
主なシリア教父
タティアノス 2世紀 (合併福音書『ディアテッサロン(英語版)』の著者[2])
アフラアテス(アフラハト) 270年、280年 - 345年以降没[12][13]
シリアのエフレム(シリアの克肖者エフレム) 307年 - 373年(第1ニカイア公会議に司教ヤコブの従者として出席[14])
ナルサイ(英語版) 399年 - 503年[12]
マッブーグのフィロクセノス(英語版) 440年 - 523年[12]
サルーグのヤコブ(英語版) 451年 - 521年[注釈 2]
エフェソスのヨアンネス(英語版) 507年? - 588年?[12][15]
ニシビスのババイ(英語版) 551年 - 628年[16]
シリアのイサアク 7世紀
エデッサのヤコブ(英語版) 633年? - 708年[12]
オリエンタル教父
啓蒙者グレゴリウス(英語版) 257年? - 331年? (キリスト教宣教者・アルメニアをキリスト教化する)
グルジアのニノ 296年 - 338/340年 (キリスト教宣教者・グルジアをキリスト教化する)
砂漠の師父・教母、および、コプト教父
師父
大アントニオス 251年? - 356年
大パコミオス 292年? - 348年
ヒラリオン (修道士)(英語版) 291年? - 371年? (パレスティナの隠修士)
エジプトのマカリオス 300年? - 391年?
ポイメン(英語版) 340年? - 450年?
アルセニオス(英語版) 350/354年 - 445年
ポントスのエウァグリオス 345年 - 399年
シナイのネイロス(英語版)(アンキュラのネイロス)? - 430年以降 (息子テオドロスと共にシナイ山に隠棲した。東方教会の伝統で重視されるイエススの祈りを明記した一人。[17])
ヨハネス・カシッアヌス(英語版) 360年 - 435年
大シェヌーテ[18] 348年? - 466年? (修道院長。エフェソス公会議にアレクサンドリア司教のキュリロスに随行して出席[19])
ガザのバルサヌフィオス(英語版) ? - 540年? (ガザの隠修士、多くの書簡を残す)
ヨアンネス・クリマコス 579年以前 - 649年 (シナイの隠修士、後に聖カタリナ修道院長、『楽園の梯子』の著者)
教母
アレクサンドリアのシュンクレティカ(英語版) 4世紀
大メラニア(英語版) 325年 - 417年 (エルサレムに男子修道院と女子修道院を創立)
小メラニア(英語版) 383年 - 439年 (大メラニアの孫、エルサレムに男子隠遁所と女子修道院を創立)
アレクサンドリアのテオドラ(英語版) 5世紀
砂漠のサラ(英語版) 5世紀
ダマスコのヨアンネス以後の聖師父
ストゥディオスのテオドロス(英語版) 759年 - 826年 (主著 『聖画像破壊論者への第一の駁論』[20])
新神学者シメオン 949年 - 1022年 (著書 『100の実践的・神学的主要則』その他[21])
グレゴリオス・パラマス 1296年? - 1359年 (著書 『聖なるヘシュカストのための弁護』その他[22])
ニコラオス・カバシラス 1322/1323年 - 1391年以降 (主著 『聖体礼儀註解』[23])
隠修者フェオファン主教 1815年 - 1895年 (著書 『救いの道』その他)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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