政治
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哲学者ロバート・ノージックは自己の自由を最大化するためにある程度の自由を制約しながら社会を形成するのであり、もし恵まれた人々の財産を他の人々のために制限するならば、それは不当な自由の侵害であると指摘した。これらの議論は社会において正義の基準が複合的に存在することを浮き彫りにしている。そこで哲学者マイケル・ウォルツァーは社会の多元性を踏まえた複合的平等を主張しており、またシュクラールが不正義によって被害を受けた人々の意見に注意することを提唱している。

正義論での諸々の立場は倫理学では徳倫理学功利主義、そして義務論に系統化することができる。徳倫理学はプラトンやアリストテレスに代表される立場であり、いかに善い状態になるのかを主眼に置いている。また功利主義はジェレミ・ベンサムジョン・スチュアート・ミルに代表される説であり、「最大多数の最大幸福」という言葉でしばしば要約されるように社会万人の利益になる行為を正当化する。そして義務論はイマヌエル・カントに代表される理論であり、理性を以って義務を確立し、それを実施することを正当化する。これらの道徳理論は政治理論や政治イデオロギー、公共政策を正当化している。
政治システム詳細は「政治システム」を参照

イーストンは『政治分析の基礎』において政治システム論を展開している。政治を一つのシステムとして捉え、環境からもたらされる入力を変換して社会に価値を権威的に配分し、出力するものというモデルを構築した。政治システムは入力の過程から始まり出力の過程で終る。この入力とは環境からの要求や指示であり、出力とは社会を公的に制御することに関する制作活動である。出力を終えるとフィードバックが始まる。出力された結果は社会に影響を与えてまた新たな支持や要求などの入力過程をもたらす。このフィードバックの循環をフィードバック・ループと言う。

政治システムはアーモンドにより発展させられる。アーモンドは入力機能を政治的社会化と補充、政治的コミュニケーション、利益表出、利益集約があり、出力機能にはルールの作成である立法、ルールの適用である行政、ルールの裁定である司法の三つの機能があるとする。政治システム入力機能である政治的コミュニケーションはマスメディア、利益表出機能は利益団体、利益集約機能は政党が機能を果たしている。
国家詳細は「国家」を参照

国家は原則的には一定の限定された領域における統治機構を指すものとして理解できる。政治史において国家はさまざまな形態をとってきたが、政治学において国家は近代の西欧で成立した国民国家を想定している。国家の要件としては、限られた国境線で区分された領域性を持つ領土、領土内で秩序を構築する法律を制定してこれを維持する排他性を持つ主権、そしてそこに居住する住民の言語的、文化的な統合性を持つ国民の三要素が挙げられる。これは国際法において国家の承認を行う際の要件でもある。またジャン・ボダンの『国家論六編』によれば主権には立法権だけでなく、司法権や官職任命権、宣戦布告権や講和権、課税権や貨幣鋳造権などを含む唯一にして不可分の絶対的な権力であると論じられている。

国家論の展開においては小さな政府と大きな政府の議論が重要であった。小さい政府は18世紀にアダム・スミスの経済的な自由主義に始まる「神の見えざる手」の思想が基礎にある。つまり政府は経済活動に介入することなく治安維持と国防だけを行うべきとする議論であり、ラッサールには夜警国家とも呼ばれた。しかし普通選挙制が採用されると市民の政治的な自由が容認され、自由放任の風潮は薄れた。そして格差拡大や貧困の深刻化により政府の役割は社会への介入が増大していき、福祉国家として発展していった。

また近代国家では権力の極端な一元化を避けるための権力の分散の必要性も述べられた。法を制定する立法権、法を適用して判決を下す司法権、そしてそれを除いた国家作用の全てを包括する行政権の三つを分離させて均衡させることをモンテスキューが『法の精神』で論じられた。これが三権分立である。19世紀までの国家は三権の中でも立法権を有する立法府が行政府や司法府に優越する立法国家であったが、20世紀以後には社会福祉政策の充実化が進んで行政府の権限が強化されたために行政国家と呼ばれる。
政府詳細は「政治制度」を参照

政府は国家において安定的な支配を維持するための体制である。政治過程においても構造的な影響を与えるものであり、基本的な政治分析の際にも政治体制は注目される。君主制貴族制共和制民主制独裁制などさまざまな政府形態が歴史上採用されてきた。アリストテレスは統治者の数とその統治の受益者という二つの観点から分類法を考案した。また別の区分として民主主義体制・権威主義体制・全体主義体制の三分類がある。また制度は可変的なものであり、政権交代や指導者の交代のような政府変動や、支配集団全体の交代をもたらす体制変動は権威主義から民主主義へなどのように基本的な体制の変動を伴う。

民主主義 (Democracy) は国民の政治参加と自由な活動に価値をおく政治体制であり、社会における多様な利害関係や価値観の対立を政治の場で解決することを重視する。独裁制と対比されることもあり、現代では世界的に重要視されている政治理念でもある。国民が直接的に政治に参加する直接民主制と代議員を国民から選出して政治に間接的に参加する間接民主制がある。民主主義の下では政党制選挙制度また投票行動などが政治過程に影響するようになる。

ロバート・ダールポリアーキー論は政治体制の分析において、自由な政府批判を容認する公的異議申し立ての度合いと政治関与可能な国民の割合に注目し、両者を兼ね備えているものがポリアーキーと読んだ。ただしこのような伝統的な民主主義は同質的な国民においてのみ成立するものであり、国民の間に同質性がなければ合意は形成できないとしていた。しかしレイプハルトは多極共存型民主主義の理論を展開してそれに反論した。すなわち民族的な同質性は必ずしも必要なものではなく、大連合の形成、相互拒否権の確保、比例性原理、少数派の自立性に基づいた多極共存型民主主義であれば政治秩序を安定させることは可能であると論じた。

世界の政治体制には政治秩序だけではなく全体主義と呼ばれる体制を保持している国もある。全体主義とは個人に対する社会の優越を基礎としてあらゆる思想、生活、社会活動などを統制しようとする政治体制である。これはかつての専制政治とはあらゆる観点から異なったものであった。20世紀における近代技術に基づいた大衆社会の操作性に起因するものである。単一の政治勢力が、社会の価値観や生活様式、政治的な言論を含めた社会全体を再構築し、個人を監視して時には拘束した。ドイツのナチズムやイタリアのファシズム、日本の軍国主義やソビエトのスターリニズムなどが歴史的な事例として挙げることができる。

カール・J・フリードリッヒやツビグニュー・ブレジンスキーは全体主義の特徴を挙げており、まず人間生活の全てを包括する教義となる包括的なイデオロギー、そして社会の再構築を行う単一の政治勢力、大衆の忠誠を獲得して反逆者を処分するための秘密警察すなわち組織的脅迫、さらにイデオロギーを宣伝するためのマスコミの独占、反乱を封じ込めるための武器独占、管理が容易で利益を独占できる統制経済、以上の六つである。全体主義にはソヴィエト連邦のイメージが強いために左翼的、またはマルクス主義的な政治体制と考えられている場合があるが、右翼的な全体主義も十分に考えられる。ただし右翼的な全体主義はドイツのナチズムのように、革命的なイデオロギーよりもむしろナショナリズムに依拠し、国家の偉大さや栄光を強調した全体主義社会を構築しようとする。

権威主義と呼ばれる体制も民主主義の対極にある政治体制として論じられるが、全体主義と混用される場合も多い。権威主義は全体主義のように大衆を統制したり教育したりすることは意図しない。だが権威主義の政治体制においては上層部を占める少数の政治勢力によって大衆の政治参加は最低限に抑制される。リンスによって20世紀のフランコ政権のスペイン政治体制を説明するために提唱された概念であり、形式的で無力な議会制と抑圧的で威圧的な官僚制を特徴とする。全体主義のカリスマ性やイデオロギー性はほとんど認められず、同じものではない。国連大使であったジーン・J・カークパトリックは権威主義と全体主義の違いを強調し、全体主義は一度成立すると自己改革の可能性はないが、権威主義ではそうとは限らないと述べている。

発展途上国の多くは民主主義でも全体主義でもない選択肢として、一党支配という権威主義を経験しているが、結果は芳しくない。ジンバブエの政治体制は1980年に二党制で発足したものの、与党のロバート・ムガベが社会主義を主張し、部族の軍事力を以って敵対勢力を打ち倒し、一党制を成立させる。しかし新しい法規制や税制はことごとく失敗に終わり、また批判すらをも封じ込め、貧困をより深刻化させた。1974年からそれまで権威主義や全体主義を採用していた各国が民主化の傾向に進み始め、チリ、韓国、台湾などは市場の自由化とともに民主化を推進することができた。
市民社会詳細は「市民社会」を参照

市民社会 (Civil Society) とは政治において政府の対概念であり、政治に参加する国民の構成員から成る公共的な領域を言う。古代ギリシアのポリスにおける民主主義に起源を見ることが出来るが、近代においては市民革命以後に発生したものとされる。政治的無関心や無責任を示すような政治社会の場合には大衆社会と呼んで区別する場合もある。

市民社会の概念は社会の機能をどこまで含むものとして捉えるべきかで見解が分かれる。ウォルツァーは市民社会を「非強制的な人間の結社の空間」と捉えて家族や宗教、イデオロギーのために形成されるとしたが、これは市民社会を非常に幅広い社会機能の集合として捉えており、市場をも含みうるものとしている。しかしハーバーマスやキーンらは市民社会をあくまで国家権力や市場経済からは独立した人々の活動を基盤とする公的領域として理解する。
国際政治詳細は「国際政治」を参照

国際政治 (International politics) は国内政治と根本的に異なる性質を持っている。政治は国家の内部での事象であったが、国際政治は国家の関係の中で発生するからである。国内政治を観察する場合は国家には主権があり、領域においてその主権は絶対的なものである。しかしながら実際には理論どおりではない。国家の主権が有効である領域においても、例えば外国の軍事力により占領された場合には、もはやその地域の主権の実際の有効性は失われる。その意味で主権は国際政治においては多数が並存する相対的なものとして捉えることができる。世界政府というものは存在しないために主権国家同士は国内政治とはまた異なる種類の権謀術数を行うために、国内政治には見られない同盟や貿易、戦争などの現象も見られる。

国際政治には現実主義理想主義という二つの学派が存在する。国際政治における現実主義とはマキアヴェリが提起し、E・H・カーハンス・モーゲンソウにより発展させられた権力政治に基づいた勢力均衡の政治理論と実践を意味する。


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