9月の代表選では、鳩山が7月22日に内閣・党役員人事で挙党態勢を築くことなどを条件として菅再選支持を表明していたが[18][19][20][21]、8月26日には小沢支持を表明し、8月29日に菅と会談して小沢との仲介を図ったが[22]、9月1日にはグループとして小沢支持を決定した[23]。こうした混乱から結束が保てず[24]、一部が菅再選支持に流れた[25]。
この間のグループの求心力の低下は著しく[26]、かつて事務総長を務めた小沢鋭仁が自立して21世紀国家ビジョン研究会(小沢鋭仁グループ)を旗揚げしたのを皮切りに、2010年6月の代表選に出馬した樽床伸二が青山会(樽床グループ)を旗揚げ、鳩山の下で内閣官房長官を務めた平野博文が自立して雄志会(平野グループ)を旗揚げするなど、幹部の離脱が相次ぎ、グループは縮小傾向を見せた[27]。
2011年6月の菅内閣不信任決議案の採決では、小沢グループと連携して不信任案に賛成の意向を示した鳩山に対して同調したのはわずか3人であり、事務総長を務める中山義活らグループの大勢は反対の姿勢を示したため、民主党内の造反劇は不発に終わった[28]。5月25日には牧野聖修が、6月7日には五十嵐文彦がグループを離脱し、全盛期には約50人いた会合のメンバーはこの時点で30人にまで減少した[29]。一連の騒動で自身の求心力の低下に衝撃を受けた鳩山は自らが会長に復帰するとともに[28][27]、小沢に近い松野頼久を幹事長に据えて小沢シフトを鮮明にした[30]。
8月26日に菅が辞意を表明すると、続く8月の代表選ではグループから海江田が出馬するが、大畠や中山らは鹿野道彦を支持して分裂した。さらに、決選投票では鹿野支持派が野田佳彦を支持したことで海江田が敗北した。大畠らはそのまま素交会(鹿野グループ)を立ち上げ、グループの分裂・縮小が決定的になった[31]。
11月2日、小沢鋭仁グループを結成して鳩山グループを離脱していた小沢鋭仁、大谷信盛らが、小沢鋭仁グループの活動の継続を条件として鳩山グループに復帰した[32][33]。
2012年1月の内閣改造で平野博文が文部科学大臣に任命され、平野はその際の一部報道で鳩山グループ所属と報じられたが、鳩山グループ事務局からメンバーではないとの見解が示された[34]。
6月の消費増税法案の衆院採決では鳩山ら数人が造反に動き[35]、鳩山は党員資格停止6か月、その他は党員資格停止2か月などの処分を受けた[36]。「三党合意」も参照
9月の代表選では野田再選阻止に動き[37]、原口一博に推薦人を出したが[38]、結果は野田の圧勝に終わった。
12月の第46回衆議院議員総選挙に鳩山は出馬せず、メンバーの大半が落選し、議員グループとしては事実上消滅した[39]。 翌2013年に鳩山は民主党を離党[40]。その後も政治団体としての「政権公約を実現する会」は休眠状態のまま残っていたが、2020年3月31日に解散が届け出られた[41]。残金200万円は鳩山由紀夫が理事長を務める東アジア共同体研究所に引き継がれた。
解散
解散時の構成
衆議院議員
高木義明[注 1](8回、比例九州)
吉田泉[注 2](4回、比例東北)
古本伸一郎[注 3](4回、愛知11区)
三日月大造[注 4](4回、比例近畿)
福田昭夫[注 5](3回、比例北関東)
鷲尾英一郎[注 6](3回、比例北陸信越)
参議院議員
直嶋正行(4回、比例区)
小川勝也[注 7](3回、北海道)
平田健二(3回、岐阜県)
高橋千秋(3回、三重県)
柳田稔[注 1](3回・衆院2回、広島県)
山根隆治(2回、埼玉県)
鈴木寛[注 8](2回、東京都)
榛葉賀津也[注 9](2回、静岡県)
芝博一[注 10](2回、三重県)
尾立源幸[注 11](2回、大阪府)
辻泰弘(2回、兵庫県)