政府(せいふ、英: Government、独: Regierung [1])とは、国家における統治機構の総称である。日本においては内閣および内閣の統轄する官僚から構成される執行機関を指す[2]。広義では、議会や裁判所などの各統治機関すべてを含める[3]。 広辞苑では「英米系の国家では、立法・司法・行政の総称だが、ドイツ系の国家や日本では、内閣とその下の行政機構を指す」と簡潔に解説されている[4]。 広義においては、立法・司法・行政の各機関すべてを含む国家の統治機構全体を指す[5][3]。これに対して狭義には、行政をつかさどる内閣と内閣の統轄する行政機関から構成される行政府を意味する[5][3]。(ドイツ系の制度を採用し、内閣制を採る国家の場合に)最狭義には、内閣と同義と解釈される[1][3]。 つまりアメリカやイギリスなどの英米法系の国家においては広義の意味で、ドイツや日本などの大陸法系の国家[注釈 1]においては狭義の意味で、それぞれ用いられる語である[6]。 英語のgovernmentは、究極的にはプラトンが「国家の船」という隠喩的な表現にて証明した、ギリシャ語の動詞 κυβερν?ω [kubernao] (「舵をとる」の意)に由来する[7]。同じ英語のgovernmentであっても、イギリスでは一般に行政府を指して呼ぶのに対し、アメリカでは立法・行政・司法の三権を分立させた憲法に基づいて連邦政府が成立した経緯から、行政部のみならず立法部と司法部も含めてそう呼ばれるなど、語の用法がやや異なる[1]。 漢語の「政府」は、『宋史』の欧陽脩伝に見える「在其政府、与韓g同心輔政。(其の政府に在りて、韓gと心を同じくして政を輔く。)」が出典とされる[6][8]。 数ある分類法の中でも、中央政府/地方政府といった分類や単独政府/多数党政府などといった分類は比較的容易であるが、共和制・立憲民主制...などといった政治体制に焦点を当てた分類は様々な困難が伴う。 その困難を下の節で説明し、その後に#代表的な政府の形態と分類の節で比較的単純に分類できる分類法を説明する。 政治学では、政体(国家の政治形態)の類型や分類をつくることは長きにわたり目標でありつづけた。というのも、政治システムの類型というのは明快なものではなかったからである[9]。政治学の中でも、特に比較政治学や国際関係論の分野で重要である。 表面的には、政府の形態がどのようなものか分類することは容易であるかのように見える。どんな政府であっても一応は、外部に対して謳っている“公式の形態”というのはあるからである。例えば、「アメリカ合衆国は連邦共和制国家で、かつてのソビエト連邦は社会主義共和制国家である」などと言ってしまうことはできるわけである。しかし、政府自体が言っていることには客観性が無く、KopsteinやLichbachが指摘しているように、政体の定義を行うということは油断がならないことなのである[10]。例えば、「選挙は民主主義の特徴だ」などとされることがあるが、旧ソ連で行われていた事実上の選挙は "自由かつ公正" ではなく、一党制の下に実施された。この例からもわかるように、実際的な分類をするならば、選挙が実施されていたとしても、それを根拠に「民主的な政府」と分類することはできないのである[注釈 2]。 政府の形態を決定づけることの難しさは、そもそも政治体系の多くが社会経済的な運動を基としており、ある社会経済的運動を旗印として掲げる特定の政党によって、それらの運動が政府内に持ち込まれていることにもある。そして、社会経済的運動というのは、どれも政治的イデオロギーを含んでいる。それらの運動を推進する者が政権を取った場合や、政党が特定の形態の政府と緊密な関係を持つ場合は、それらの運動も含めて政府の形態とみなされることにも成り得る。 さらに理解を難しくしている背景にあるのは、政治的イデオロギーと関連する統治の形態に対して、一般的に見解が一致しない場合や、合理的で専門的な定義があっても故意に「歪曲または偏見」として捉えられる場合であり、これらは現代の政治学の本質のためである。例えば、アメリカ合衆国では「保守主義」を意味するところが、他の国や地域で使われる語義とは、その用法において、ほとんど共通しないことである。2011年にRibuffoが指摘したように、「いま、米国人が『保守主義』と呼んでいるものは、世界のほとんどの地域で自由主義または新自由主義と呼んでいるものに他ならない[11]」のである。1950年代以降、アメリカ合衆国の保守主義は第一に共和党と結びついてきた。しかし、人種差別
用法・定義・語源
語源など
分類・種類
政治体制に焦点をあてた分類にまつわる困難
世界の全ての国々は、次に挙げる少なくとも2つ(ないしそれ以上)の特質を合わせた統治機構により統治されている。(例えば、アメリカ合衆国は真の資本主義社会ではない。というのも、実際には政府は社会的サービスを市民に提供しているからである)加えて、政府の類型に対する人々の意見は様々である(例えば、アメリカ合衆国は民主国家というよりも金権国家である、という議論があり、米国は富により支配されていると信じる者もいる)[13]。いかなる政府にも、常に(白黒のつかない)不確かさが存在する。