ODA大綱は、政府開発援助(ODA)に関する基本理念や重点事項などに関する政府の指針である。1992年に宮澤喜一内閣が閣議決定し、第1次小泉純一郎内閣が2003年8月に改訂し、さらに第3次安倍内閣が2015年2月に改訂して、現在の大綱となった。
最終版では、ODAとOOF (Other Official Flows、ODA以外の公的資金)との連携に関する事項が追記された。ただし、OOFも公的資金に基づく支援であることには変わりないと見られる。
なお、軍事装備に関する支援は長年に渡ってDAC国によるODA支援の対象外とされており、OECDはODA受取国に対して次のことを伝えている。
Military aid: No military equipment or services are reportable as ODA. Anti-terrorism activities are also excluded. However, the cost of using donors’ armed forces to deliver humanitarian aid is eligible.[16]
軍事援助:いかなる軍事装備・軍事サービスもODAとして報告することはできない。反テロ活動も除外される。ただし、人道援助の送達のために支援供与国の軍隊を使用する費用は認められる。
こうした規定があるものの、2016年には日本からベニグノ・アキノ3世政権下のフィリピンに対し自衛隊機が有償で貸与された[17]。 ODAが貧困な発展途上国であれば、どの国にでも援助できるかといえばそうではない。 国際連合憲章の諸原則(特に、主権、平等及び内政不干渉)及び以下の諸点を踏まえ、開発途上国の援助需要、経済社会状況、2国間関係などを総合的に判断の上、ODAを実施するものとする。 (以上、外務省のサイト『政府開発援助大綱』[2] 日本は敗戦後の1946年から1951年の間に、アメリカの「占領地域救済政府資金」 (GARIOA) と「占領地域経済復興資金」 (EROA) から約18億6000万ドルのODAを受けた[18](1973年完済)。カナダ、メキシコ、チリ、ブラジル、アルゼンチン、ペルーなどからも生活物資や食料などが援助された。1953年には、世界銀行から多国間援助である有償資金を使用し、東海道新幹線、東名高速道路、黒部川第四発電所などを建設(1990年に完済)。こういった経験から現在の日本の政策が、ダム建設などのインフラ整備に重点を置いているとも言われる。
援助実施の原則
援助の選定となる基準と呼ぶべき4原則がある
環境と開発を両立させる。
軍事的用途及び国際紛争助長への使用を回避する。
テロや大量破壊兵器の拡散を防止するなど国際平和と安定を維持・強化するとともに、開発途上国はその国内資源を自国の経済社会開発のために適正かつ優先的に配分すべきであるとの観点から、開発途上国の軍事支出、大量破壊兵器・ミサイルの開発・製造、武器の輸出入などの動向に十分注意を払う。
開発途上国における民主化の促進、市場経済導入の努力並びに基本的人権及び自由の保障状況に十分注意を払う。
日本のODAの変遷
戦後復興時代
ODA拠出側へ
日本からODAを拠出したのは、1954年にビルマと結んだ「日本・ビルマ平和条約及び賠償・経済協力協定」での賠償供与が初めてである。その後、フィリピン、インドネシアと経済協力は続いていく。
1960年代の高度経済成長期に入ってから、徐々に現在のODAの体系に近づき、拠出額も増大していく。
1961年アメリカ合衆国によって主導的に設立された開発援助委員会 (DAC) に、1963年参加する。
1964年には経済協力開発機構 (OECD) に加盟。
1966年にはアジア開発銀行を発足。
1974年には国際協力事業団 (JICA) が設立される。
1992年、ODA大綱が閣議決定される。
2000年の国連ミレニアム・サミットが、極度の貧困・飢餓の撲滅を目指し、1日1米ドル未満で暮らす人々の数を2015年までに半減させることを約束した。
2000年のODA拠出額は、約135億ドルで日本は世界第1位の拠出額であった。この頃は毎年1兆円あまりを様々な国に供与していた。
2007年のODA拠出額は、約77億ドル(約7,800億円)であり、これは金額ベースにおいて、アメリカ、ドイツ、フランス、イギリスに続き、5位である。