半大統領制においては、政府の長は国家元首と立法府(議会)の双方に対して責任を負うことがある。例えば、フランス第五共和政(1958年以降)においては共和国大統領が首相を任命するが、国民議会において政策を通すことができ、その支持を得られる人物を選ぶ必要があるため、反対勢力が国民議会を(すなわち予算とほとんどの立法を)支配するようになれば、大統領は反対勢力から首相を任命することを事実上強いられる。この場合はコアビタシオン(cohabitation、保革共存)と呼ばれ、首相が国内政策を定めることになり、大統領はほぼ外交関係に限定されることとなる。 広義には、「首相」(prime minister)との語は、絶対君主たる国家元首の下において相当する様々な地位を指すものとしておおざっぱに用いることもある。特に古代や封建時代。この場合、「首相」(prime minister)という用語は時代錯誤的であり、日本語では「宰相」といった用語のほうが通常である。この場合、首相は君主の所望に基づいて奉仕するのであり、君主の許容したものを超える権力は有しない。不祥事を起こした政府の長はその失敗ゆえに処刑されることすらあった。このような役職には次のようなものがある。 場合によっては、国家元首は名目上の存在に過ぎず、政府の長が支配者であることもある。政府の長がその役職を世襲する場合すらある。このような役職には次のようなものがある。 モデルによっては国家元首と政府の長は同一である。これには以下のものがある。 このほか、単一で最高の政治的機関(最高会議幹部会・国家評議会・連邦参事会など)が集団で政府を指導するとともにその中から(例えば持ち回りで)国家元首を出すような場合もある。 議院内閣制においては、政府は以下のように機能する。
政治的指導者の場合詳細は「首相」を参照
支配的な国家元首の下にある場合
Diwan
Mahamantri
Pradhan
Wasirまたは大宰相
事実上の国家元首の場合
メロヴィング朝の宮宰
ムガル帝国のNawab wasir(Awadhの知事も)
サーターラ
日本の征夷大将軍
鎌倉幕府では征夷大将軍も名目化し、北条氏宗家(得宗家)の歴代当主が事実上の長となっていた。
セルジューク・トルコのスルタン(バグダッドのカリフを操り人形とした。なお、後にイスラム圏においてはいずれも絶対的な支配者の称号として用いられた。)
マムルーク朝のスルタン(アッバース朝の末裔をカリフとして擁立した。)
ネパール王国の宰相(ラナ家の世襲)
国家元首兼政府の長の場合
(行政権のある)大統領
元首と政府の長が別に存在しても、同一人物が兼務することになっている場合(例えば1976年から2019年までのキューバでは憲法第74条で「国家評議会議長は、国の長であり、政府の長である」と規定されており、首相職である閣僚評議会議長を兼務することになっていた)[1]。
首相を置かずに(またはブルネイのスルタンの様に自身を首相として)君臨し支配する絶対君主
古代・中世の共和国の長
ナチス・ドイツにおいて用いられた総統(Fuhrer)
議院内閣制における政府の長
政府の長――通常は多数派の政党または連立政党の指導者であり、政権を組織し、議会に対して責任を負う。
以下のような仕組みで政府は議会に対して完全に責任を負う。
議会が不信任決議をすることができること。
政府が議会を解散させることができること。
財政措置および予算(すなわち国庫からの支出)を統制することまたは否決することができること。二院制においては、多くの場合はいわゆる下院(英国の庶民院など)が統制および監視の役割の多くを果たすが、国によっては、オーストラリアやイタリアのように、政府は憲法上または慣習上、議会の両院に対して責任を負う。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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