放射線障害
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^ 生涯ガン死亡リスクではなく、発ガンのリスクとしては野菜摂取量が非常に少ないことに起因するガンのリスクの増加(1.06倍)よりやや高い程度(1.08倍)である[27][28]
^ 細胞の放射線に対する感受性は、活発に分裂している細胞ほど高くなり、造血器などの細胞再生系が最も影響を受けやすくなる。
^ 眼の水晶体への閾値を超えた被曝は放射線白内障(水晶体混濁)を引き起こすとされる。放射線白内障(radiation-induced cataract)は、放射線被曝による水晶体上皮細胞(LEC)のプログラム細胞死と、これに引き続く線維化によって生じる。0.5?1.5Gyの被曝で水晶体混濁(opacity)が認められ、5Gy以上の被曝で、視力障害を伴う白内障(cataract)となる。混濁は後極後嚢下に現れる[29][30]
^ これら臓器に対する放射線障害を防ぐため法令においていくつかの臓器に対する等価線量限度が定められている。たとえば、電離放射線障害防止規則(第5条・第6条)[31]など。
^ 1Gy(グレイ)以上被曝すると、一部の人に悪心、嘔吐、全身倦怠などの二日酔いに似た放射線宿酔という症状が現れる。1.5Gy以上の被曝では、最も感受性の高い造血細胞が影響を受け、白血球血小板の供給が途絶える。これにより出血が増加すると共に免疫力が低下し、重症の場合は30-60日程度で死亡する。皮膚は上皮基底細胞の感受性が高く、3Gy以上で脱毛や一時的紅斑、7-8Gyで水泡形成、10Gy以上で潰瘍がみられる。5Gy以上被曝すると小腸内の幹細胞が死滅し、吸収細胞の供給が途絶する。このため、吸収力低下による下痢細菌感染が発生し、重症の場合は20日以内に死亡する。15Gy以上の非常に高い線量の被曝では、中枢神経に影響が現れ、意識障害、ショック症状を伴うようになる。中枢神経への影響の発現は早く、ほとんどの被曝者が5日以内に死亡する。
^ 身体的影響とは異なり、遺伝的影響は次世代以降に発現する可能性のある影響であり、ガンに比べてさらに長い期間に渡った十分にコントロールされた調査が必要となる。人でこのような調査を実施することは不可能に近いと言われる[33]
^ なお、長期的な研究体制については、原子力白書[34]を参照。
^ ただし、放射線防護上はガン同様に、閾線量の存在しない直線関係仮説(LNT仮説)が取られる[33]
^ これは時期特異性(stage difference)と呼ばれる。ただし、時期特異性は、成長・発育している胎児の特徴であるので、放射線に限らず様々な薬剤などの科学的要因、ウイルスなどの生物学的要因に暴露した場合も同様に適用される[38]
^ このため、妊娠中の女子については腹部の被曝および放射性物質の摂取による内部被曝についてより厳しい防護基準が適用されている。例えば、電離放射線障害防止規則第6条[39]
^ 受精から8週間までは、受精卵は活発に細胞分裂しながら胎児の体を構成するさまざまな臓器に分化していくので、この時期が放射線に対する感受性が高い。この時期に100ミリシーベルト以上の被曝をすると、奇形発生、精神発達遅延が確定的に生じることが知られている[40]
^ これらの時期は、胎児の神経系が急激に発達する時期であるので、被曝によって神経細胞がプログラム細胞死を来すことによって障害を来すものと考えられている。発達段階によって奇形、知能障害、発育障害などの障害も発生する。
^ 人工的に放射線が使われるより以前の16世紀後半から、ウラン鉱山で働く作業者の肺がん発生率が高いことが着目されていた。しかしながら、当初は原因不明の奇病として扱われており、放射線誘発ガンと判明したのは1920年以降である。従って、実際に放射線障害が問題にされるようになったのは、人工的に放射線が使われるようになった19世紀末以降である。
^ 実際、レントゲンは X 線の発見とともに X 線照射による指の火傷を経験したが、それはオゾンによるものと考えた。
^ この時期に皮膚障害が多かったのは、初期の X 線発生装置の出力可能な X 線のエネルギーが低かったためであると言われる。
^ 原因としては、より高圧の X 線発生装置が開発されたことがあったと言われる。
^ 他には、1901年にはモルモットの死亡、動物実験での流産、1902年には慢性X線潰瘍から皮膚がんへの悪性転化、1911年には白血病の誘発、1919年には胎児へのX線照射による奇形の発生が報告された。
^ 放射線障害が認知されるまでは、多くの医者や企業が放射性物質を使ったまがい物の治療法や薬を、特効薬(en:Patent medicine、en:Radioactive quackery)として処方・販売した。例えばラジウムを使った浣腸、ラジウム入りトニックウォーターなどが販売された。これらに対し1898年にラジウムを発見したマリ・キュリーはラジウムの人体に対する影響はよく解っていないので止めるべきだと警鐘を鳴らした。彼女自身も放射線障害の再生不良性貧血で1934年に死亡した。1930年代には多くの放射性物質服用者の死亡や障害が明らかになり、放射性物質入りの薬の販売は途絶えた。しかしながら、それでも放射線の影響は完全には理解されておらず、1945年と1946年にはデーモン・コアによって科学者が死亡した。
^ 基準めいたものが出てきたのは1925年のMutschellerによるものからである。
^ 1934年のIXRP(国際エックス線ラジウム防護委員会;ICRPの前身)の初めての数値勧告も皮膚の急性障害を防ぐという目安で定められた。
^ 他にも例えば、1924年にはシュネーベルク病(シュネーベルク地域の鉱山労働者におけるラドンによる肺がん)が報告された(奇病が発生するということは16世紀後半から知られていた)。ほか、時計の文字盤にラジウムを塗っていた女子作業者(ダイアル・ペインター)においては、1923年にはラジウム顎、1926年には再生不良性貧血、1929年には骨肉腫の発生などが報告された。
^ 1927年、マリ・キュリーに師事しフランスへ渡っていた日本人物理学者の山田延男が、帰国後間もなく放射線障害と見られる症状を呈し死亡した。これは、日本人として初めての放射線障害の犠牲者となった。当時は放射線障害、ひいては放射能に対する知見がまだまだ浅く、死後相当の間は正体不明の奇病として扱われた。
^ 実際、1928年に IXRP が発足し、放射線防護に関する関心も高まり技術的に放射線被曝を軽減するためのさまざまな努力がなされたことから、1940年以降は放射線被曝との因果関係が明らかな放射線障害の発生は減少した。
^ 放射線被曝とその影響の因果関係を表すデータが存在しない時期においては推定するしかないためである。
^ 実際、IXRPからICRPに改称した際の1950年の勧告における防護基準は「現在の知識に照らして、生涯のいずれかの時期においても感知される程度の身体的生涯があらわれないであろうと思われる量」として決められたものであり、ガン、遺伝的影響を考慮して決定された[47]
^ 具体的には放射線によって誘発される致死ガンと重篤な遺伝的影響の発生確率を当初は意味していた[48]
^ 広島・長崎における原爆被曝生存者集団の疫学調査の母集団としての特徴

調査対象が大きく、男女を含めた広い年齢範囲にわたっている

放射線治療患者を対象とする調査と異なり、基礎疾患をもった患者ではないこと

全身被曝をしていることから多くの臓器を対象としたリスク評価ができる
などの特徴を持つ[48]

出典^ 草間(1995) p.77
^ 草間(1995) pp.77-78
^ アイソトープ協会(1992) p.141
^ 草間(1995) p.72
^ 三橋 pp.107-108
^ a b c ATOMICA 放射線のDNAへの影響
^ 草間(1995) pp.72-73

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