その後フランスのユグノー、イギリスのピューリタン、オランダのゴイセンなど、ルーツ毎に様々な名称で呼ばれた宗教的亡命者は、広い地域に届けられた改革者たちの手紙同様、西欧を中心として、しかし欧州に留まらず、広い範囲にカルヴァンたちの神学を持ち運ぶことになった。イングランドからそのような人々が新大陸に渡ったとき、新天地で最初に出版された書物がジュネーヴ詩篇歌だったことは、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}後にこの歌が忘れられてしまう時代があることが事実だとしても、アメリカの改革・長老派教会の伝統を考えるうえで意義深いことといえよう[要追加記述]。
なお、狭い意味で、スイスを中心とした大陸の改革教会を「改革派」と呼ぶとすれば、ジュネーヴ・アカデミーで学んだジョン・ノックスが基を築いたスコットランド国教会の系統は「長老派」と呼ばれる。後者は段階的な会議制を(かつて言われてきたように発明はしなかったかもしれないが)「長老制」として発展させたために、大陸の改革派と区別されることがあるのである。
他の諸国と同様に日本にもプロテスタント教会の宣教師たちが足を踏み入れた19世紀末、その中心を担ったアメリカ人には、改革教会の系統を組むものたちがいた。たとえば、日本最初のプロテスタント教会、日本基督公会・横浜公会(現日本キリスト教会横浜海岸教会)の設立時の指導者は、オランダ系米国改革派教会の宣教師ジェームス・バラである。 この節に雑多な内容が羅列されています。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2017年2月) 改革派の教理は複数の信仰告白において表明されている。おもな信仰告白は多くの教派によって採用されている。なお歴史的経緯によって、地域教会ごとに異なる信仰告白が使われている。(年代順) (「改革派信仰告白集」一麦出版社、2011?による信仰告白一覧より)
教理
ツヴィングリ「六十七箇条提題」 ‐ 1523年
チューリヒの「キリスト教入門」 ‐ 1523年
ベルン提題 ‐ 1528年
東フリースラント説教者の信仰告白 ‐ 1528年
ツヴィングリ「信仰の弁明」 ‐ 1530年
四都市信仰告白 ‐ 1530年
ベルン教会会議(教理箇条) ‐ 1532年
バーゼル信仰告白 ‐ 1534年
第一スイス信仰告白 ‐ 1536年
ローザンヌ提題 ‐ 1536年
ジュネーヴ教会信仰の告白 ‐ 1536/37年
ジュネーヴ教会教理問答 ‐ 1542年
チューリヒ信仰告白 ‐ 1545年
チューリヒ協定 ‐ 1549年
グラウブュンデン信仰告白 ‐ 1552年
フランクフルト外国人教会信仰告白 ‐ 1554年
エムデン教理問答 ‐ 1554年
フランス信仰告白 ‐ 1559年
スコットランド信仰告白 ‐ 1560年
ベルギー信仰告白 ‐ 1561年
エゲル谷市民の信仰告白(エアラウタール信仰告白) ‐ 1562年
ハンガリー信仰告白 ‐ 1562年
英国教会の信仰箇条 ‐ 1563年
ハイデルベルク教理問答 ‐ 1563年
ネーデルランド信仰告白 ‐ 1566年
第二スイス信仰告白 ‐ 1566年
デブレツェン会議信仰告白 ‐ 1567年
ナッサウ信仰告白 ‐ 1578年
第二スコットランド信仰告白 ‐ 1581年
ブレーメン協定 ‐ 1595年
ランベス条項 ‐ 1595年
シュタッフォート信仰告白書 ‐ 1599年
相違点(会衆派) ‐ 1603年
カッセル教会会議信仰告白 ‐ 1607年
ヘッセン教理問答 ‐ 1607年
ボヘミア兄弟団信仰告白 ‐ 1609年
アルミニウス主義条項(建白の五箇条) ‐ 1610年
ベントハイム信仰告白 ‐ 1613年
ジーギスムントの信仰告白 ‐ 1614年
アイルランド宗教条項 ‐ 1615年
ドルトレヒト信仰規準 ‐ 1619年
ウェストミンスター信仰告白 ‐ 1647年
ウェストミンスター大教理問答 ‐ 1647年
ウェストミンスター小教理問答 ‐ 1647年
ピエモンテ・ヴァルド派の簡潔な信仰告白 ‐ 1655年
サヴォイ宣言 ‐ 1658年
英国教会教理問答 ‐ 1549年/1662年
スイス改革派教会一致定式 ‐ 1675年
バプテスト信仰告白(フィラデルフィア信仰告白) ‐ 1742年
プファルツ連合の教理条項 ‐ 1818年
カルヴァン主義的メソジスト信仰告白 ‐ 1823年
イングランド・ウェールズ会衆派連合、信仰・教会職制・規律に関する宣言 ‐ 1833年
ニューハンプシャー信仰告白 ‐ 1833年
オーバーン宣言 ‐ 1837年
ジュネーヴ福音教会信仰告白 ‐ 1848年