アメリカ海軍の指揮下で動いた艦船の中で1隻のみが捕獲されたが後に取り戻された。リタリエーション (USS Retaliation) である。リタリエーションは捕獲した私掠船ラ・クロイアブル (La Croyable) であり、直ぐにアメリカ海軍に買い上げられた。僚艦モンティズマ (USS Montezuma) およびノーフォーク (USS Norfolk) と共に1798年10月28日にノーフォークを出港し、西インド諸島に巡航してアメリカの商船を保護していた。11月20日、フランスのフリゲート、ランシュルジャントとヴォロンテール (Volontaire) が、追跡中に僚艦から離れてしまったリタリエーションに追いついた。リタリエーションは砲門数のはるかに少ないスクーナーであったため、それを指揮していたウィリアム・ベインブリッジ海尉は降伏せざるを得なかったが、他の2隻のアメリカ軍艦がフランスのフリゲートに比べれは遥かに強力であるとフランスの先任艦長に信じさせ、追跡を諦めるよう誘導したので、モンティズマとノーフォークは追跡を免れることができた。フランスがマジシャンヌ (Magicienne) と改名したスクーナーは、6月28日、メリマック (USS Merrimack) の砲の威嚇で旗を降ろし、再びアメリカの手に渡った。
アメリカ沿岸警備隊の前身である密輸監視隊に所属する密輸監視用カッターも他に2隻の捕獲に貢献した。エドワード・プレブルが指揮するカッター、ピカリング (USRC Pickering) は西インド諸島に2度航海し、素晴らしい成果をあげた。そのうちの1隻は合計150ポンドの砲弾を放てる19門の砲を備えていたのに対し、ピカリングは僅か砲14門、合計56ポンドに過ぎなかった。さらに捕獲艦の水兵は250名もおり、ピカリングの3倍以上だった。
アメリカ海軍は総計85隻のフランス船を捕獲した。
アメリカ側の損失に付いては資料により異なる。ある資料では1800年に戦争が終わるまで、フランスは2,000隻以上のアメリカ商船を捕獲したと言っている[1]のに対し、他の資料では1隻しか失わなかったとしている[2]。(この食い違いは海軍の損失を計算しているか、商船を数えているかということで説明できるかもしれない。)
イギリスとアメリカは同じ敵と戦っていたが、共同行動を採らなかったし、作戦計画を共有するとか戦隊の配置を相互に認識しようともしなかった。イギリスはアメリカ政府に海軍の物資や弾薬を売りつけた。さらに両海軍はそれぞれが海上で互いの艦船を識別できるように信号システムを共有し、互いの商船が護送船団に加わることを認めた。 1800年の秋までに、アメリカ海軍とイギリス海軍は、フランスの第一統領ナポレオン・ボナパルト政府からのより懐柔的な外交姿勢もあり、フランスの私掠船と軍艦の活動を抑えることに成功した。9月30日に調印された1800年協定の結果、擬似戦争は終わった。
敵対行動の終結
脚注^ "America’s First Limited War", Lieutenant Colonel Gregory E. Fehlings, U.S. Army Reserve.
^ Frank J. Rafalko, "A Counterintelligence Reader," Vol. 1, pg. 31, ⇒http://www.fas.org/irp/ops/ci/docs/ci1/chap1.pdf.
参考文献
Alexander De Conde: The quasi-war: the politics and diplomacy of the undeclared war with France 1797?1801. New York: Scribner’s, 1966
Frederick C. Leiner: Millions for Defense: The Subscription Warships of 1798. US Naval Institute Press, November 1999
Nathan Miller: The US Navy: An Illustrated History. New York: American Heritage, 1977
Ian W. Toll: Six Frigates: The Epic History of the Founding of The U.S. Navy. New York: W.W. Norton, 2006
Captain Thomas Haggard commanded the American armed ship Louisa of Philadelphia, which successfully engaged French and Spanish privateers 20 August 1800 off Tarifa. (USS Haggard (DD-555))
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アメリカ合衆国の歴史 (1789-1849)
外部リンク
Naval History Bibliography - ウェイバックマシン(2000年12月17日アーカイブ分)[リンク切れ]