摩訶波闍波提
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摩訶波闍波提と共に出家した女性500人は釈迦族の女性で、カピラ城の女官であったとされる[8]

摩訶波闍波提の僧伽での活動は明確ではない。摩訶波闍波提が戒和尚となって出家した女性として『四分律』などには蓮華色の名が見える。森らは、そのほか『増一阿含』に名が記される50名など、初期仏教聖典に名が記される女性には、摩訶波闍波提の弟子が含まれていただろうとする[8]

また、律蔵のなかで比丘尼に関わる比丘戒・比丘尼戒の制戒因縁には、摩訶波闍波提の名が見える。森らは、これらの記述を「摩訶波闍波提の行為によって生まれたもの」「摩訶波闍波提の要請(質問)によって生まれたもの」「摩訶波闍波提が知って釈迦に伝えたことで生まれたもの」「摩訶波闍波提が比丘尼から聞いて釈迦に伝えたことで生まれたもの」の4つに大別できるとする。そのほかに、摩訶波闍波提らが釈迦、あるいは長老比丘から教えを受けるエピソードなどがある[8]

このように、摩訶波闍波提は比丘尼僧伽を運営して多くの弟子を設け、また比丘尼僧伽の運営規則の制定に重要な役割を果たしたと記されている。しかし森らは、こうした記述がどこまで史実かは明らかではないとしている[8]
脚注[脚注の使い方]
注釈^ カピラヴァットゥ城のジャヤセーナの王女
^ 名前は記されない
^ 古代インドでの年齢は、満年齢数え年が混在していたとされ、また起算も入胎であるか、出胎であるか判然としない。本記事では森章司と本澤綱夫による「入胎から起算する満年齢」を前提とする[2]
^ 釈迦の宮参りや、釈迦の出家を予知する夢を見る話があるが、後世に作られた伝承と考えられる[3]
^ ただし、釈迦が女人の出家を躊躇ったとの逸話は原始仏典との矛盾が多く、後世に付加されたものである可能性が高い[6]

出典^ a b c d 森章司 & 本澤綱夫 2005, p. 5-16.
^ 森章司 & 本澤綱夫 2005, p. 1-5.
^ a b 森章司 & 本澤綱夫 2005, p. 16-27.
^ a b c 森章司 & 本澤綱夫 2005, p. 27-31.
^ a b c 森章司 & 本澤綱夫 2005, p. 31-45.
^ 植木雅俊『差別の超克――原始仏教と法華経の人間観』講談社〈講談社学術文庫〉、2018年(原著2004年)、175, 179頁。 
^ a b c 森章司 & 本澤綱夫 2005, p. 68-69.
^ a b c d 森章司 & 本澤綱夫 2005, p. 60-68.

参考文献
論文など


森章司、本澤綱夫「Mah?paj?pat? Gotam? の生涯と比丘尼サンガの形成」『中央学術研究所紀要』モノグラフ篇No.10、中央学術研究所、2005年。 

関連項目

摩耶夫人

八敬法
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